知財論趣

欧州・主権・言語

筆者:弁理士 石井 正

困難に直面する欧州
 このところ欧州経済が難局を迎えているようです。なにしろ欧州は地理的、歴史的、文化的に多様であるにも関わらずそれを欧州連合として統合し、なかでも通貨をユーロに統一したのですから大変です。経済に強い国もあれば弱い国もあります.それを統一通貨で揃え経済システムを事実上統合したので、ひとたび経済状況が厳しくなるとその運営の難しさが露呈されるのも無理はありません。しかもそこに加えて難民問題は深刻です。域内各国では新たな右翼政党が支持を受け、ハンガリーなどは露骨な移民排除を政策として打ち出しそれが国民から支持されているようなのです。困難を抱える欧州連合から英国が離脱するというのも、そうした問題の難しさを示しているのかもしれません。欧州は統一したとみられるのですが、そこには各国の主権が厳然として存在しています。

欧州における言語
 欧州が難しいという場合に、文化的な差異・多様性も考えなければなりません。アジアの東に位置し幕末明治の頃に欧州から大いに文化的な影響を受けた我が国は、欧州といえばかなり均質で各国間に大きな差異がないと思い込んでいる傾向があります。しかし欧州各国の歴史、文化を見て行くとかなり大きな違いがそこには存在し価値観も異なる場合が多いようです。差異の一つとして言語が挙げれられるでしょう。欧州各国の言語が様々に異なり、しかも各国は自国の言語に想像以上のこだわりを見せるのです。しかも各国は自国の言語と国家主権を接続して考えるところがあります。自国固有の言語を失ってしまえば、自らの国の主権もまた失ってしまうと思考する回路が厳然としてそこにあるとみられます。

欧州特許条約と言語
 これまで欧州特許条約は順調に発展してきて、加盟国は40カ国近い規模となっています。しかしこのところ欧州特許条約出願が伸び悩んでいるという声も聞きます。その理由の一つが翻訳問題なのです。ご存知のとおり欧州特許条約出願はしばしばバンドリング・パテントとも称され、特許になるまでは一つの言語で手続と審査が済みます。ところが特許になると各国別に翻訳を提出しなければ各々の国で効力を有しません。そこからは各国の主権に基づく権利になります。それまでまとまって手続きをしていたバンドリングが、そこからは外れるというわけです。
 各国別に翻訳を提出するとなれば翻訳料金が実に高額になり、13カ国へ出願と言うとかなり高額な料金の支払いを覚悟しなければなりません。これが欧州における特許取得の困難性を高めていることは確かです。この問題を解決するアイデアはこれまで様々に出されてきました。その一つがロンドン協定で、英語、ドイツ語、フランス語を欧州特許の公用語として、そのいずれかを公用語とした国は自国語への翻訳を求めることができないようにし、欧州特許の公用語を選択せずに自国語にこだわる国は、明細書について翻訳を求める場合でもその言語は欧州特許の公用語のいずれかに限定し、クレームのみ自国語翻訳を求めることができるとした協定です。また現在のバンドリング特許ではないまさに単一の欧州連合特許、いわゆるEU特許の動きもあります。ロンドン協定も欧州連合特許もそれぞれ着実に前進しつつあるようですが、まだ欧州における特許の中核となってはいないようです。
 
ウイーンそしてパリでの国際会議
 現在の国際的な特許保護の枠組みは19世紀末のウイーンとパリにおける国際会議で定まったものであることはよく知られています。これらの会議、なかでもウイーンでの会議では、当初国際的な特許保護は単一の手続きと権利であることが望ましいとの考えでスタートしました。いわゆる単純な世界特許とも言えるものでした。発明を世界的に保護する必要があると考えると、そうした考え方は誰しも思いつくのでしょう。それが普通の発想なのかもしれません。ウイーン会議には各国の法学者が多く参加していました。彼らは当然のように単純な単一世界特許という理想論から議論をスタートしたのです。ところが会議において少し議論をするとたちまち各国の主権問題が出てきて、それほど簡単に各国が主権を放棄すると期待できないことが明らかになりました。何しろ特許は国家主権のもとに付与されるものです。単純な世界特許では、国家の主権問題を克服することは到底できないと意見が一致し、その逆の「各国特許独立の原則」が確認されたのです。
特許における国家の主権問題という歴史的経緯は常に考えておかなければなりません。欧州の中だけに限定された欧州における特許の言語問題あるいは翻訳問題がなかなか簡単に解決できないことを考えると、19世紀末のウイーン会議における、世界で一つの特許という当初の理想論から会議途中での各国特許独立の原則という現実論への急展開の顛末は、当然のことと理解することができますね。