知財論趣

宮本常一の「対馬にて」と会議文化

筆者:弁理士 石井 正

日本の会議文化
 日本の会議は長い。延々と会議をします。これは海外の関係者にはよく知られていて、カイギという日本語がそのまま使われることすらあります。海外から電話などの連絡があったとき、カイギで席を外しているという説明がされることが多く、それが重なると、日本人はいつも会議をしているようだという理解と認識になるのでしょう。確かに会議が多い。何かと会議をし、関係者を集めます。一体、会議で何を議論しているのかと言えば、それはさまざまです。

さまざまな会議
 問題解決のための知恵を出すための会議もあれば、組織としての意思決定のための会議もあるでしょう。ただ、そうした水準の高い会議は通常は少なく、多いのは関係部署の関係者の考えを揃えるための会議が多く、その延長線には集団の気持ちを一致させて、頑張ろうと気合を入れる会議もあるようです。実際にある会議のほとんどはそうした会議なのではないでしょうか。なにしろ日本人は、集団のなかにあってそこから外されることをひどく嫌い、情報の伝わらないことを恐れるのです。だから何があっても会議となれば馳せ参じることとなります。会議に出なければ自分だけが情報シャットの状況になるかもしれません。それは最悪の事態です。組織の上からすれば、会議で決めた、説明した、合意したということは後々、重石となって集団の努力へとつながることが期待できます。逆に組織のメンバーから、それは聞いていない、説明されていないと反論されることはどうしても避けたいという組織原理が働きます。

宮本常一の「対馬にて」
 日本をくまなく歩いたとされる民俗学者宮本常一の「対馬にて」を読むと、彼が対馬の北端に近い伊那の村の寄り合いを見て、経験したことが昨日のことのように描かれています。宮本がその村の旧家を訪ね、その老人から、村に古くから伝えられている帳箱があり、そこに区有文書が入っていることを知ったので、それを見せて欲しいと頼みました。その老人は自分の一存では決められないこと、ちょうど村に寄り合いがあるから、皆の意見を聞いてみるのがよいということとなったのです。老人の息子が寄り合いの場に出かけていき、事情を説明しました。朝、寄り合いの場で事情を説明し、20人ほどいる村の皆は話し合います。村の取り決めのこと、昔、村の旧家で御判物を貸して問題が生じたこと、これまで村の帳箱にある文書を貸したことはなかったことなど、昼になってもまだ話しているのです。

納得するまで話し合う
 ともかく村の取り決めのことは皆が納得するまで何日でも話し合うのです。まず皆で話し合って、それからそれぞれの地域の組で話し合い、その結果を区長にもっていきます。その結論が揃わない時は、再びそれぞれの地域へ戻って話し合います。区長や総代はただ話を聞くことに専念します。だから2日も3日も懸かるわけです。それでも取りまとめの区長や総代は彼の結論を出すことはありません。2日も過ぎた頃、寄り合いの場から、宮本本人に声がかかり、説明するように求められました。そのまま説明したところ、寄り合いに参加していたある老人が「見ればこの人はわるい人でもなさそうだし、話を決めようではないか」とかなり大きな声で話しました。すると寄り合いの参加者が宮本の顔をあらためて見直し、区長にだれも異存はないと話します。区長はそれでは責任は区長が負うからといってようやく結論を出したのだそうです。

意思決定と合意形成
 日本におけるムラの意思決定は存外に民主的でした。そうであるから村として決めたことには、全員が揃って努力することができたのです。その伝統が現代の企業社会にもそのまま「会議」という形で続いているのではないでしょうか。国際会議において日本代表がイエスと答えるときには、その後ろにいる組織が大丈夫と判断しているとみられ、実施においてはまず心配なく行われ、逆にノーというときには、背後の組織が合意形成できず、駄目と言っているとみられます。イエスという返事を出すまでは時間がかかるが、イエスと言ったならばその後はまず確実であるというのが日本の特徴であること、これは現在では海外の国際会議に係る関係者の常識ともなっています。逆に欧米代表が会議の場でイエスと言って、会議の結論がまとまった場合でも、いざ実施の段階に入ると困難な事情がでてくることが多いのも国際会議に係る関係者の常識でもあります。