知財論趣

欧州特許庁都市四題(2)

筆者:弁理士 石井 正

欧州特許庁
 欧州特許庁は欧州特許条約(European Patent Convention:締約国は2013年末時点で34カ国)に係る特許出願について出願受付から審査、審判、公報発行までを遂行する機関です。本部はドイツのミュンヘンにあり、ハーグにかなり大きなサーチ・審査部局を、そしてベルリンとウイーンに支局を置いています。ハーグの局長であったミッシェル氏に言わせると、欧州特許庁の幹部職員は、仕事の半分が出張であるとのことで、彼の場合、毎週、オランダのハーグとドイツのミュンヘンを往復し、これに加えて欧州特許条約締約国の特許庁へ出張することが多く、結局、年間で見ると半分は出張しているということとなるわけです。
 筆者はつい余計なことを聞く癖があって、もしもそれほど出張をするということになれば、航空会社のマイレージ・ポイントが溜まるが、それはどうするのかと聞いたことがあります。欧州特許庁の場合は、UNICEFか国境なき医師団等の機関に個人の意志として寄付をするのが通例であるとのことでした。良いことです。

ウイーン
 欧州特許庁の情報サービス部門はウイーン支局が担当しています。筆者は情報企画課長をしていた関係もあって、このウイーン支局を数度、訪問し、ウイーンそれ自体が懐かしい街となっています。なぜ欧州特許庁の情報サービス部門がウイーンに所在するのか。1965年にWIPOの前身であるBIRPIは世界の特許公報データを揃えた形でデータベース化し、特許文献サービスを行うワールド・パテント・インデックス計画を取りまとめ、これにオーストリア政府が参加して設立した機関がINPADOC(International Patent Documentation Center)で、オーストリア政府はこのINPADOCをウイーンに設置したのです。
 このウイーンのINPADOCについては愉快な話があります。その所在する建物には旧ソ連の秘密情報機関KGBが同居していたというのです。しかも旧ソ連には世界の特許文献を大規模に分析調査する研究所がありましたから、西側技術情報の窓口としてKGBはINPADOCを利用したのではないかと、ウイーンの人々は噂をするのです。筆者はそれを最初、耳にした時は半信半疑で、噂好きのウイーンらしい話程度とみていましたが、旧ソ連が崩壊すると、INPADOCの身売り話が出てきて、変に納得した次第です。INPADOCは、結局、1990年に欧州特許庁が引き受け、したがって情報サービス部門はウイーンというわけです。
 さてウイーンの街ですが、パリを小規模にしたような美しさがあり、栄光のハップスブルグの文化を漂わせている良き雰囲気に溢れています。とりわけ良いのが音楽で、ウイーンに出張した時は、まずコンサート・ホールの窓口あるいはその傍に切符売り場がありますから、そこで売れ残りの切符を買うのが通例でした。ウイーンではチケットは安くて、しかもかなり高名の音楽家が毎日のように公演するのです。それに比べて評価の対象とならないのがウイーン料理です。ウインナー・シュニッツェルが名物というようでは困ったもので、日本のカツレツの方が遥かに上ではないかと愚痴も出ようというものです。ウイーンではせいぜい、カフェでコーヒーとケーキを楽しむことをお薦めします。

ミュンヘン
 ドイツの南、バイエルン州のミュンヘンに欧州特許庁の本部が所在します。北のベルリンやオランダのハーグと異なり、自由な気分があり、それを示すのが19世紀末にユーゲント・シュティールの活動の舞台であったことです。フランスではアール・ヌーボー、ウイーンでは分離派、イギリスではアーツアンドクラフト、そしてドイツではミュンヘンのユーゲント・シュティールというわけで、19世紀末の欧州の芸術運動の拠点の一つであり、それは今でも街の雰囲気に残っているようです。
 さてミュンヘンの食となれば、オクトバー・フェストをまず考えます。秋の大祭というわけで、大きな公園に巨大テントを張って、そこに数万人の人々が集まり、ビールをたらふく飲み、ソーゼージ、豚の丸焼きを楽しむというイベントなのです。この席にフランス人がいると必ず言うのが、行進曲を聴き、歌いながら酒を飲むという国民性は、到底理解することができない、という点です。それは小生も同様で、オクトバー・フェストに限らず、ミュンヘンのビア・ホールに行くとそれをいつも思うのです。
 そうした陽気で大味な南ドイツなのですが、ミュンヘンにはミシュラン三星のレストランが2店あります。そこがミュンヘンの奥の深いところです。機会があって、そのうちの一つ「オーブル・ジーン」でフランス料理を楽しみましたが、これはまた完璧なフランス料理、それも日本の懐石料理の影響を受けたというヌーベル・クジーヌの絶品でした。夕刻7時から夜11時までの珠玉の料理の時間は、多分、二度と経験することはないであろうと、自らに言い聞かせたことを思い出します。