知財論趣

倉敷の街並み保存を考える

筆者:弁理士 石井 正

美しい倉敷
 倉敷に遊びました。以前から楽しみにしていたのですが、期待通りのよさでした。古い堀割りを中心に昔のままの建物が保存され、街並みそしてその景観を保存しようとし、成功しているのです。中心には大原美術館があり、美術館に面して、昔、多くの船が通い、重要な運河であったに違いない掘割りが美しい水面を見せます。倉敷紡績の工場跡地が近くにありますが、この掘割りを経由して運ばれてきた綿花が大八車に乗せられて、綿紡績工場に運ばれていったことでしょう。その石畳の道が今に残り、大八車の轍が当時の様子を物語ります。
  利用したホテルもよく、倉敷紡績の旧工場をそのままホテルに改装したもので、もちろん改装といっても一部を残してそのほとんどを造り替えたものです。レンガの壁にアイビーが絡まる、まことによい雰囲気をかもしだすホテルでした。

古い旅館とヨーヨー・マ
 この掘割りのそばに、江戸時代に砂糖問屋であった建物があります。大正時代に旅館として改装され、今でもそのまま営業しているのです。これがまたいかにも明治・大正期の本格的旅館という風情で、その時代のよかった時を楽しむことができます。聞けば、10年ほど前にあの世界的チェリスト、ヨーヨー・マがこの旅館に泊まり、その風情があまりにもよかったので、それ以後は日本での公演、特に関西での公演では、必ずこの旅館に泊まるのだそうです。ヨーヨー・マは筆者がもっとも好きな音楽家の一人であるだけに、なにかそれだけで旅館の価値がひとまわり高くなるような印象を受けるのですから不思議なものです。そこにこだわって、夕食はこの旅館で楽しみました。

大原美術館
 翌日は大原美術館をゆっくりとみてまわります。期待通りで、特にエル・グレコの「受胎告知」がよく、さらにセザンヌあるいはモディリアニ、マチス、ロートレックなど印象派の絶品が何気なく飾ってあるのがよいですね。最も感激したのが、ジョバンニ・センガンチーニの「アルプスの真昼」でした。セガンチーニはこれまで画集でしか見たことはなく、是非一度、目にしたいと願っていたのです。清貧な雰囲気と気高さとが交じり合うもので、なにやらミレーの画風につながるものがあります。こうした印象派を中心とした部屋の他に、陶芸の部屋がまたよい雰囲気を与えてくれます。バーナード・リーチ、富本健吉、河井寛次郎、濱田庄司の作品がたっぷりと展示されてあるのです。最近は入れ物だけは立派な美術館が建設されることが多いのですが、そうした美術館と比べると、ともかく大原美術館はわが国屈指の所蔵を誇り、格式の高い美術館といってよいでしょう。そして保存された街並みと一体となった雰囲気がなによりもよいのです。美術館を楽しんだ後、今度は江戸時代からの旧家である大橋家住宅を見せてもらいました。昔ながらのまさに旧家の内部を見学できるようにしているのですが、この地方のいわゆる大地主がどのような住宅に住み、どのように生活していたかがよく理解できるのです。

雑多と美観のコントラスト
 2日間のあわただしい倉敷の観光でしたが、一つだけ残念なことがあります。街並み保存がほんの一部に限定されていることです。保存されている地域はたしかに美しく、また情緒があり、明治・大正の雰囲気を楽しむことができるのですが、それはほんの一部の地域に過ぎないのです。なにしろ倉敷の駅からその景観保存地域までの間がまったくの平凡な街並みなのです。日本のどこにもある雑駁なそれであり、やたら飾り付けた商店街です。そこを通り抜けてようやく街並み保存地域に至ります。それはまさに雑多と美観の皮肉で不思議なコントラストと言ってよいでしょう。  倉敷の景観保存地域を歩きながら、イタリアのフィレンツェを思い出しました。フィレンツェでは、街全体がそのまま保存されてあります。ヴェネツィアもそうです。せめて駅から景観保存地域までの間だけでも、景観に配慮したものであって欲しかったと痛感した旅でした。