知財論趣

蛍光標識によるDNA解析法

筆者:弁理士 石井 正

大学における研究と発明
 大学における特許の取り扱いの議論が盛んです。大学の教授以下教員スタッフによる研究の成果を論文だけではなしにきちんと特許権にまで結び付けるべきであるという議論なのです。
 背景にはいろいろの事情があります。国立大学が独立行政法人化していく時に、これまでのような評価方式、すなわち教員は論文を書くことで評価され、それで各教員が満足しているようでは、独立行政法人としては問題であるという意識があるようです。可能であれば研究の成果を米国の大学のようにきちんと特許権にまでにして、その特許権の使用許諾のライセンス収入を大学の収入に結びつけたいという要請があるようです。
 1999年に産業活力再生特別措置法が制定されたことにはじまり、2002年には知的財産基本法が制定され、大学における研究成果の活用ということが国としての大きな課題とされてきています。研究者はその研究成果を論文だけではなしに、知的財産権の重要性を認識したうえで、彼の研究成果を特許権化していくことが求められているのです。

DNA解析方法
 こうした文脈で議論をする際に常に話題に上るのが、実際に大学で生まれた重要な発明が特許権化されなかった事例です。その典型例が埼玉大学の伏見譲教授による蛍光標識によるDNAの分析方法に関する発明で、現在のDNA分析の基本となる発明であって、仮に特許権化してあればその特許権の価値はきわめて大きいものがあったのです。それだけに話題に上ることが多いようです。
 80年代はじめ、伏見教授はDNA解析に関する科学技術庁のプロジェクトに関わり、この過程で新たなDNA分析の手法を発明したのです。DNAを構成する4種類の塩基に対して異なる4種の蛍光色素をつけ、これにレーザーを照射して塩基配列を決定するという方法でした。現在のDNA解析の基本となる方法であって、特許となれば、だれしもこの特許権を使用しなければならない重要な内容を含むものであったのです。
 これをプロジェクトのメンバーでもあった三井情報開発(株)(現 三井情報(株))の主任研究員の香月祥太郎 現鳥取環境大学教授に相談したところ、特許出願するべきことを強く勧められ、出願に関わる費用のこともあり、三井情報開発から特許出願しておくこととなったのです。1983(昭和58)年4月9日に出願されました。

特許出願の取下
 ところが三井情報開発サイドがこの出願のことをプロジェクトのスポンサーでもある科学技術庁に話したところ、国の資金によって生み出された研究の成果を独占することとなる特許権とすることはまかりならないと指摘され、この出願を1984年1月に取り下げることとなったのです。
 皮肉なことにこの直後から米国のカリフォルニア工科大学が4色蛍光標識法を使用したDNAの自動解読装置の開発を進めていき、この開発成果が現在のDNA解析装置の基本となったのです。
 なぜ当時、科学技術庁は国の資金によって得られた成果は特許権化するべきではない、と考えたのでしょうか。そこにはやや理解のズレがあったのではないかと推察できます。

大学教員の職務発明
 当時、国立大学の教職員が発明を生み出した時には、文部省の通達「国立大学等の教官等の発明に関わる特許を受ける権利の帰属についての基準」に従うことが求められていました。国立大学の教官等は、大学の研究室において生み出した発明でも、その権利は教官自身に帰属していたのです。ところが国の補助金を受けた研究プロジェクトで生み出された発明の場合には、この通達では国にその権利が帰属することが明記されてあったのです。
 特許を受ける権利が国に帰属するから、教官自身あるいはプロジェクト参加の企業が出願することは問題であることは確かなのですが、だからといって出願を取り下げてしまうことはなかったというべきですね。権利の主体、すなわち出願人を見直すか、あるいは権利移転することで合理的にしかも公平に解決できたはずです。
 この蛍光標識によるDNA解析の手法は幅広く改良開発され、いまではヒトの全遺伝子解析にその能力を発揮しています。この原理を利用しつつ、コンピュータにより自動的に解析するシステムが完成して、いまでは短時間にDNA解析が可能となったのです。その基本技術は特許出願を取り下げたことにより、自由使用ができるわけです。
 まことに残念なことをしたものです。