知財論趣

著作権法と特許法

筆者:弁理士 石井 正

憂鬱なる著作権法
 少し前のことなのであるが、知的財産法の権威者とも言える元東京大学の先生が知的財産のうち、著作権法について「憂鬱なる著作権法」という言い方を講演会で明言され、また著作権に関する著作にもそのままその言い方をされたので、関係者の間では随分、話題になったことがあった。普通には法学者が既存の法律についてそうした言い方をすることはなく、ましてや知的財産権法の最大権威とも評価される法学者がそうした表現をしたことで驚かされたわけである。 
 なぜそうした表現をしたのか。その背景には現在ある著作権法の本質的な問題点を関係者に気付かせたいという狙いがあったと思われ、またその問題が普通の努力ではなかなか解決し難いであろうことを示唆したいという気持ちが込められているように思われる。

著作権法と特許法
 知的財産法にはさまざまな法律があるが、なかでも著作権法と特許法は大きな二つの柱とも言える。著作権法は、思想又は感情を創作的に表現したもので、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものとされている著作物を保護しようとする。それに対して特許法は、自然法則を利用した技術的思想の創作である発明を保護しようとする。 
 著作権法は「創作的表現」を保護し、特許法は「創作的思想」を保護する点では本質的に異なるし、それが出願の有無や明細書、クレームの有無等につながっている。そうした両制度の差異はあるとしても、著作権法には独特の問題があると思われる。それは制度の利用者の問題で、創作者すなわち権利者とその保護された著作物の利用者の問題である。 
 それが[憂鬱なる著作権制度]になっていく原因でもあるようだ。

著作権法の気になる部分
 実際に、著作権法を読んでいくと、所々にひどくいびつな法規定の存在することに気付き、それがどうにも気になることがしばしばある。そのほとんどが創作者すなわち保護される者の主張に係る部分なのである。 
 たとえば著作権法の第113条5項の規定がそれである。この規定は、国内頒布を目的に発行した商業用レコードがあったとした場合に、同じそのレコードの製作者が別に国外での頒布を目的として商業用レコードを発行したとする。この国外で発行した商業用レコードを国内に頒布目的で輸入したり、国内頒布したり、所持してはならないという規定である。 
 この規定の興味深いことは、商業用レコードの製作者は同一でありながら、国内頒布目的と国外頒布目的の2種のレコードを発行していることを前提にしていることであって、その同じ製作者の同じ内容のレコードであって国外頒布目的のレコードは、国内に輸入してはならないというわけである。 
 なぜこうした規定を用意したのだろうか。それは同じレコードでも国外ではきわめて安く販売している実態があり、その安く国外で販売したレコードが、高価格設定の国内に逆輸入されたのではレコード製作者としては困る、という事情があるようだ。

著作者の権利主張
 しかし著作権法において、こうしたことにまで配慮して規定をわざわざ設ける必要があるのだろうか。国外で安くレコードを販売するのはあくまでもレコード製作者あるいは会社の都合であるにすぎない。この法改正がされたときから疑問に思っていた。多分、音楽著作権者の団体等が審議会等において声高に主張し、法改正を要請したに違いない。著作権に関する審議会のメンバーを見ていくと、そのほとんどが著作権の創作者に関わる者であって、利用者は少ない。したがってどうしても著作権者の意見が中心になるだろう。 
 それはやむを得ないこととも言える。なにしろ著作権法の目的が、著作者の権利を定め、・・著作者等の権利の保護を図り、もって文化の発展に寄与することを目的とする、というものであるからだ。

特許法における制度利用者
知的財産法を見ていくと、特許法と著作権法では大きな違いを見出せる。その一つが、制度に関わる者である。著作権では、創作者と利用者ははっきりと分かれる。創作者はあくまでも創作者であって、創作者が同時に利用者となることは少ない。他人の創作物を利用しつつ、創作するということは実際に少ないようだ。法はそのうちの創作者の権利と保護をまず考える。だから法規定のなかにひどくいびつな規定が生まれることもあり得る。 
 ところが特許の場合は大きく異なる。特許法もまた発明者の保護を考えるのだが、発明者はまったくゼロから発明を生み出すわけではない。必ず先行するさまざまな技術知識を前提に発明を生み出す。そしてその多くは他人の発明すなわち特許権を利用した改良発明である。特許権者はまた他の特許権の利用者でもある。特許権者と利用者はほとんどコインの裏表の関係にあると言ってよい。  
 だから特許における法制議論をする場においては、特許権者ともなる企業の関係者は、常に特許権を保有する立場と、他人の特許権を利用する立場と、その両方の立場を意識して発言する。極端な特許権強化は、いつ自分が利用者になったときのマイナスとして響いてくるかを考えざるを得ないからだ。 
 その結果、特許の場合には、特許法のなかにいびつな権利保護規定が入り込むことはない。バランスの取れた規定となるわけであるが、それは創作者と利用者が一体であることの結果ということができる。将来,その憂鬱なる著作権法を抜本的に改正していくとすれば、それは著作物の創作者に対する配慮ではなく、著作物を利用する幅広い者に対する配慮がポイントになると思われる。