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UPC地方部における審査経過の参酌に関する判断

 統一特許裁判所(UPC)協定が2023年6月1日に発効しUPCがスタートしてから9ヶ月以上が経過しましたが、最近になってクレーム解釈の手法が示された判決がUPCの第一審に相当する各地方部から出されるようになってきました。本稿ではUPCのミュンヘン地方部が最近の仮差止請求事件において、「審査経過禁反言」に関して下した注目すべき判断について欧州代理人からの情報に基づいてレポートいたします(事件の書誌的情報は以下の通り)。

 ・事件番号:UPC_CFI_292/2023(仮差止請求事件)、

 ・当事者:SES-imagotag SA vs. Hanshow Technology Co. Ltd. Et al.

 ・第一審法廷:ミュンヘン地方部

 ・言語:ドイツ語

 ・決定番号:ORD_596193/2023(2023年12月20日)

 

1.事件の経緯

(1)訴訟の提起

 SES-imagotag SA(以下、「SES社」)は、2023年8月に付与された単一効特許EP3883277(以下、「本件特許」)を所有しており、2023年9月1日に単一効が登録されました。

 2023年9月4日にSES社は、Hanshow Technology Co. Ltdおよびその関連会社(以下、総称して「Hanshow社」)によって販売されている製品(製品および価格のラベリングのための電子ラベル)が本件特許のクレームを直接侵害しているという理由で、UPCのミュンヘン地方部に仮差止請求を行いました。

(2)第一審(ミュンヘン地方部)の決定

 争点は、電子ラベルのケース内でプリント回路基板とアンテナとが相互にどのように配置されるかという点にあり、クレームの構成の意味について当事者間で争われました。ミュンヘン地方部は、攻撃された被疑侵害品が本件特許に係る発明を実現しているとは確信できないと述べ、2023年12月20日に本件仮差止請求を却下しました。

(3)控訴裁判所への控訴

 SES社はこの決定を不服とし、2024年1月4日に控訴裁判所(ルクセンブルク)に控訴しました。

 

2.争点および裁判所の判断

(1)本件特許発明の構成

 本件特許は、上記のように製品および価格のラベリングに使用される電子ラベルに関するものです。以下に示す本件特許の図2および図3は、本件特許の電子ラベル(3)の例を示す図であり、図2は電子ラベル(3)の正面図であり、図3はその背面から見た透視図です。本件特許の構成要素のうち、侵害の有無を判断するために考慮されたクレームの重要な構成要素を抽出すると以下のとおりです。

 ① ケース(30)の背面側にあるプリント回路基板(35)、および

 ② 以下のものを含む無線周波数周辺装置(36)

  (i)  プリント回路基板(35)上に配置された電子チップ(37)、および

  (ii) 電子ラベル(3)の正面側においてケース(30)上またはケース(30)内に配置されたアンテナ(38)

(2)裁判所のクレームの解釈

 Hanshow社の製品が本件特許のクレームを実際に侵害しているかどうかという問題に答えるために、裁判所(UPCミュンヘン地方部)はクレームの特定の構成を解釈する必要がありましたが、その際に裁判所が採用した方法が関心と議論を引き起こしました。

 SES社は、本件特許のクレームは、アンテナがケースの正面にのみあることに限定されるものではないと主張しました。そして、(ケースの背面にある)プリント回路基板と電子ラベルの表示画面(図231)との間にアンテナが配置されるどのような構成もクレームがカバーすることを明細書が明確にしている、と主張しました。このような構成は、侵害であると主張された物品の中に存在していました。

 しかしながら、裁判所はこの主張に納得しませんでした。むしろ裁判所は、本件特許は全体として、アンテナとプリント回路基板上の電子チップとの空間的分離が無線干渉を軽減するために重要であるということを教示している、と考えました。

 このような認定の一環として、裁判所は、出願当初にクレームが元々どのような文言で表現されていたかを検討し、クレームの出願時のオリジナル版は、「特許付与の過程でなされた変更に関連して解釈の補助として用いることができる」とコメントしました。

 出願当初のクレームでは、プリント回路基板上のチップとアンテナとは間隔をあけるべきであり、そのような構成の技術的目的は干渉を制限することであると特定されていました。このような出願当初の文言に照らして、裁判所は特許されたクレームを、プリント回路基板がケースの背面にありかつアンテナがケースの正面にあるように、電子チップとアンテナとが互いに正反対に配置されることを要求している、と解釈しました。

 裁判所はこのように、問題となっている特許クレームの出願当初のオリジナル版は、特許付与手続後のクレーム解釈に影響を与えると判断し、訴えられた製品を除外するようにクレームを狭く解釈しました。その結果、直接侵害はないと認定し、仮差止請求は認められませんでした。

 UPCの控訴裁判所からは、審査経過を考慮するかどうか、また考慮するならどの範囲まで考慮するか、については未だ判断は下されていません。

 

3.欧州における審査経過の参酌について

 一般に、欧州の裁判所は、米国で「包袋禁反言の法理(file wrapper estoppel doctrine)」として知られる法理を適用しません。この法理は、権利化手続中に出願人が提出した陳述または補正を、裁判所が後に侵害または無効訴訟において特許の範囲を解釈する際に考慮することを要求するものです。この米国の法理は衡平の法理であり、特許権者は、特許を取得するために審査官と交渉中に放棄した特許の範囲に基づいて侵害の主張を展開することは認められていません(Festo Corp. v. Shoketsu Kinzoku Kogyo Kabushiki Co., 535 U.S. 733 (2002))。

 欧州の裁判所はこの法理をほとんど適用していません。というのは、欧州特許条約(EPC)の第69条(欧州特許の保護範囲について規定する条項)には、クレーム解釈において審査経過が考慮され得るとは規定されていないからです。同様に、UPC協定およびその議定書においても、クレーム解釈において審査経過が考慮されるべきとは明記されていません。しかし、UPCは国内法が適用されると規定しており、クレーム解釈における審査経過の参酌の妥当性についてはUPC加盟国間で議論されており、UPCにおいては適用される可能性があります。

 

4.本件決定の影響

 そのような状況下において、本件決定においてUPCが、特許付与されたクレームを解釈するために出願当初のクレームを使用したことは、多くの欧州の実務家にとって多少の驚きを与えたものと思われます。この決定はまた、UPCのさまざまな地方部および地域部にわたって法律がどのように統一的に適用されるかについても疑問を生じさせます。

 実際、UPCがその決定の基礎とする単一のハーモナイズされた法律はありません。むしろ、UPCAの第24条(1)は、UPCがとりわけ、EU法、EPC、特許に適用されかつすべてのUPC締約国を拘束するその他の国際協定、そして国内法に基づいてその決定を下すものと規定しています。この場合、クレームの解釈に関するEPOの判例法は考慮されていないようです。そもそも、補正に関するEPC第123条第3項の考慮を除けば、EPOは、侵害事件を扱う際に国内裁判所が決定する問題である保護の範囲には関与していません。それにも関わらず、EPOの最近の判例では、クレームの特徴を解釈する際に、明細書を使用できるかどうかが中心テーマとなっていることがよくあります。EPOの一般的な慣行は、それ自体が明確で信頼できる技術的教示を与えるクレームの特徴に対し、異なる意味を与えるために明細書を使用することはできないということです(T42/22)。EPOにおいて明細書を解釈のツールとして使用することに消極的であることは、オリジナルの明細書の文言や審査経過を使用するという本件におけるUPCミュンヘン地方部のアプローチと一見矛盾しているように見えます。

 

5.ドイツ国内裁判所の判断

 ここでUPC締約国の国内法に目を向けると、本件においては、この訴訟が審理された地方部(ドイツのミュンヘン)の国内法に依拠したものであると予想するのが合理的でしょう。ドイツの判例法によれば、出願手続中に欧州特許庁(EPO)に対して行われた陳述は、通常、その後の侵害訴訟において特許権者を拘束するものではありません。しかしながら、ドイツ連邦司法裁判所は、当業者が特許の主題をどのように解釈するかを示すものとして付与手続における陳述への参照を許可する可能性があり、また付与された特許と先に公開された特許出願との間の文言の違いについて参照を許可する可能性があります。

 たとえば、ドイツ連邦司法裁判所(Bundesgerichtshof、BGH)は2002年、先導的判決であるX ZR 43/01「Kunststoffrohrteil(プラスチック製パイプ部品)事件」において、「審査経過に由来する問題は、法的確実性の要件に関するものであっても、特許の保護範囲の評価において考慮することはできない」との判決を下しました。2010年2月4日のその後の判決Xa ZR 36/08「Gelenkanordnung(ジョイント配列)事件」によれば、特許を解釈する際、特許明細書と公開された特許出願との差異は一般に考慮されません。しかし、特許クレームと明細書とが相互に意味のある関連性を持ち得るかどうかが依然として疑問である場合、ドイツ連邦司法裁判所は、2011年5月10日の判決X ZR 16/09「Okklusionsvorrichtung(ジョイント配列)事件」および2015年5月12日の判決X ZR 43/13「Rotorelemente(ロータ要素)事件」において、クレームが、明細書に閉じられた内容と異なるかまたは及ばない主題を保護しているかどうかをさらに明確にするために、「クレームの履歴」を使用することができる、との判決を下しました。

 本件の予備的かつ時間的に厳しい性質(仮差止請求に端を発すること)を考慮すると、本件の決定はドイツの特許実務とよく整合している可能性がある、と言うことができます。

 

6.地方部/地域部における法律の統一的適用について

 さらに興味深いことに、一部の識者によりますと、オランダでは審査経過の参酌がより一般的なアプローチであり、UPCミュンヘン地方部で本件を審理する裁判官の一人がオランダ人であるとのことです。

 したがって、このことはおそらく、特定の事件を審理する地方部の地域性だけでなく事件を審理する裁判官の国籍にも基づいて、UPCの手続きに地域色がもたらされることを強調していると考えられます。

 訴訟を起こす者は、訴訟の管轄の要件(侵害の発生地、被告の拠点等)を満たすことを条件に、どの現地法が自分の訴訟に最も有利であるかを考慮して、訴訟を起こす部門(地方部/地域部)を選択することができると言われています(たとえば、一部のヨーロッパ諸国は、仮差止請求についてはより特許権者寄りの歴史を持っていると言われています)。しかし、本件は、部門の選択が必ずしも決定的な要因ではない可能性があり、事件を審理する裁判官の国籍も原告の制御を超えた影響を与える可能性があることを浮き彫りにしています。

 もちろん、クレームの解釈に関しては、UPCにおいて判例法がどのように発展するかについて注目していく必要があります。本件の裁判官は、彼らの解釈の正当化のために元のクレームの文言に注目しましたが、UPCにおいてクレームを解釈する際に、出願人によって審査中に行われた議論または陳述が同様に考慮されるかどうかという問題が生じます。UPCが民事訴訟手続に基づいて運営されており、各部門が以前の決定に拘束されないという事実は、一部の訴訟では審査経過を利用したクレーム解釈が有効となる可能性がある一方、他の訴訟では審査経過が完全に無視される可能性があることを意味しています。

 

7.審査経過の参酌に関する別の地方部(デュッセルドルフ地方部)の判断

 たとえば、ドイツの別の地方部での直近の事件で、仮差止命令が一方的に認められた事件があります。

 2023年12月11日に、UPCのデュッセルドルフ地方部は、ORTOVOX Sportartikel GmbH (以下、「ORTPVPX社」)の欧州特許EP3466498を侵害した疑いで、Mammut Sports Group AGおよびMammut Sports Group GmbH(以下、総称して「Mammut社」)に対する一方的な仮差止命令を認めました(ORTOVOX Sportartikel GmbH v Mammut Sports Group GmbH:以下、「ORTOVOX事件」)。

 裁判所(デュッセルドルフ地方部)は、警告書に応じて行われたMammut社の法廷外の議論を検討し、そしてORTOVOX社の特許の保護範囲を解釈する際に、「特許を解釈するときには原則として特許付与のファイルは考慮されるべきではない」と述べました。裁判所はさらに、ドイツ連邦司法裁判所の国内判例を引用して、「特許付与手続中になされた単なる陳述はもともと保護範囲を制限するという意味では何の意味も持たず」、そして「せいぜい、当業者が問題となっている特徴をどのように理解できるかについて示唆的な意味を持つことができるに過ぎない」と付け加えました。

 

8.今後の見通しについて

 このようにORTOVOX事件では、デュッセルドルフ地方部は、UPCにおいてクレームを解釈するために特許付与手続中に特許権者が行った陳述などの特許審査情報の参酌を却下するというドイツ連邦司法裁判所の立場を採用しました。しかし、デュッセルドルフ地方部はドイツの判例法にそって、そのような情報が、クレームされた特徴に対する当業者の技術的理解の評価において「示唆的な」役割を果たす可能性があることを認めました。

 翻って本件においてはミュンヘン地方部は、特許クレームのオリジナルのバージョンに基づいてそのクレームの保護範囲を決定するという、もう少し大胆なアプローチを採用しました。UPCの公式ガイドの指針には、特許クレームの解釈を助けるために審査経過が使用される可能性があると記載されています。もしも控訴裁判所がそのような立場を支持すれば、UPC締約国の国内特許裁判所に雪だるま式の影響を与える可能性のある画期的な判決が下されることになると思われます。

 本件を皮切りに、控訴裁判所が包袋禁反言の法理を支持するかどうか、またどの程度まで支持するかを見守ることは興味深いことであります。ただし、このような状況下で当面の間は、出願人は、審査中に行う補正や主張が、UPCにおける侵害/取消訴訟の際に災いとなって戻ってくる可能性があるという事実に留意する必要があります。

[情報元]

① D Young & Co Patent Newsletter No.99 February 2024 “SES-imagotag v Hanshow Technology: will we see file wrapper estoppel in the UPC?”

https://www.dyoung.com/en/knowledgebank/articles/ses-imagotag-hanshow-technology-upc

② McDermott News: LEGAL LENS ON THE UNIFIED PATENT COURT | FEBRUARY 2024 “What’s the Latest on the Unified Patent Court?”

https://www.mwe.com/insights/legal-lens-on-the-unified-patent-court-february-2024/

 

[担当]深見特許事務所 堀井 豊