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UPC控訴裁判所による最初の実体的判決

 統一特許裁判所(UPC)の控訴裁判所(ルクセンブルク)は2024年2月26日に、UPC創設以来、最初となる実体的判決を出し、2023年9月19日付けで先にUPCのミュンヘン地方部によって認められていた仮差止命令を覆しました(控訴審事件番号:UPC CoA 335/2023(2024年2月26日判決))。この判決により、仮差止命令を受けていた企業は、ほとんどのヨーロッパ市場での業務を再開することが可能になりました。

 

1.事件の経緯

 10x Genomics, Inc.他(以下、集合的に「10x Genomics社」)は、検体を検出するための組成物および方法に関する欧州特許(単一効特許)第4 108 782号(以下、「本件特許」)を有しております。本件特許は、2011年12月22日付の米国の優先権を主張する国際出願(PCT/US2012/071398)に由来する欧州特許であり、特許付与は、2023年6月7日に公告されました。

 NanoString Technologies, Inc.他(以下、集合的に「NanoString社」)は、10x Genomics社に対して、本件特許に関して合理的な条件でライセンスの提案をするよう繰り返し要求しました。またNanoString社は、本件特許の付与に対し異議申立を欧州特許庁(EPO)に提出しています。

 10x Genomics社は、本件特許の直接侵害および間接侵害に対する暫定的な法的保護を得ることを目的として、2023年6月1日に、NanoString社に対する仮差止命令の申立をUPCの第一審裁判所であるミュンヘン地方部に行いました(原審事件番号:UPC CFI 2/2023)。

 2023年9月19日にミュンヘン地方部は申立人である10x Genomics社の主張を受け入れ、仮差止命令の申立を認めました。

 これに対して、NanoString社は、ルクセンブルクにあるUPCの控訴裁判所に控訴し、控訴裁判所は今般、原審の命令を覆す判決を出しました。

 

2.本件特許の内容

 本件特許は、検体を検出するための組成物および方法に関するものであり、代表例としてそのクレーム1の仮訳を以下に示します。

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1.細胞または組織サンプル中の複数の検体を検出するための方法であって、

 (a)前記細胞または組織サンプルを固体支持体上にマウントするステップと、

 (b)前記細胞または細胞サンプルを、複数の検出試薬を含む組成物と接触させるステップとを含み、前記複数の検出試薬は、検出試薬の複数のサブポピュレーションを含み、

 前記方法はさらに、

 (c)前記複数の検出試薬が前記検体に結合するのに十分な時間にわたって前記細胞または組織サンプルを前記複数の検出試薬とともに培養するステップを含み、

 前記複数の検出試薬の各部分配列は異なる検体を標的とし、前記複数の検出試薬の各々は、前記複数の検体のうちの1つの検体を標的とするプローブ試薬と、1つまたは複数の所定の部分配列とを含み、前記プローブ試薬と前記1つまたは複数の所定の部分配列とがともに接合しており、

 前記方法はさらに、

 (d)前記1つまたは複数の所定の部分配列を時間的に順番に検出するステップを含み、

 前記検出するステップは、

  (i)デコーダプローブのセットを前記検出試薬の部分配列とハイブリダイズさせるステップを含み、前記デコーダプローブのセットはデコーダプローブの複数のサブポピュレーションを含み、前記デコーダプローブの各サブポピュレーションは検出可能なラベルを含み、前記検出可能なラベルの各々は信号シグネチャを生成し、

 前記検出するステップはさらに、

  (ii)前記デコーダプローブのセットのハイブリダズによって生成される前記信号シグネチャを検出するステップと、

  (iii)前記信号シグネチャを除去するステップと、

  (iv)異なるセットのデコーダプローブを使用して(i)および(iii)を繰り返して、前記検出試薬の他の部分配列を検出し、それによって前記複数の検出試薬の各サブポピュレーションに固有の前記信号シグネチャの時間的順序を生成し、

 前記検出するステップはさらに、

 (e)前記検出試薬の前記1つまたは複数の所定の部分配列に対応する前記信号シグネチャの時間的順序を使用して、前記検出試薬のサブポピュレーションを特定し、それによって、前記細胞または組織サンプル内の前記複数の検体を検出する、方法。

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3.仮差止命令の対象

 仮差止命令の被申立人であるNanoString社は、以下の実施形態1、2および3に係る製品を、個別にまたは組み合わせて市場に提供しておりました。

 実施形態1(CosMx空間分子イメージャー)は、形態学的に無傷のサンプル中の個々の細胞から直接、さまざまなRNAまたはタンパク質の高感度の細胞以下のイメージングを可能にするものです。サンプル、特に固定細胞や組織切片などの生物学的サンプルは、特定の検体、すなわちRNAおよびタンパク質の存在について、自動的に分析可能となります。この実施形態のイメージャーはアムステルダムにある被申立人のCX-Labにおいても使用され、取得されたデータは、UPC締約国領土内で動作していないサーバ上で、クラウドで分析されます。

 実施形態2(CosMx RNAパネル)は、RNAの検出のみに使用できる検出試薬です。実施形態2は、標準的な異形(既製のRNAアドオン)においておよび顧客の仕様(カスタムRNAアドオンプローブ)に従って、キットで販売されます。

 実施形態3(CosMx RNAイメージングトレイ)は、検体(RNAまたはタンパク質)に既に結合している一次プローブに二次プローブとして結合するプローブです。この製品は、2枚または4枚のスライドごとに100個のRNA(100プレックス)または1000個のRNA(1000プレックス)の検出に利用できます。実施形態3は、タンパク質の検出だけでなくRNAの検出にも使用することができます。

 

4.原審(ミュンヘン地方部)の判断

 第一審裁判所であるミュンヘン地方部は、2023年9月19日付で申立人の主な請求を認めました。

 様々な争点のうち、特に本件特許の有効性について、ミュンヘン地方部は、クレーム1の主題が新規であるということを認めました。文献D6(Jenny Göransson et al., A single molecule array for digital targeted molecular analyses, Nucleic Acids Research, 2009, Vol. 37, No. 1, e7)における検出対象は、細胞または組織サンプルからの検体ではなく、「パッドロックまたはセレクタープローブ」から得られるいわゆる増幅された単一分子(amplified single molecules: ASM)です。さらに、文献D6では検体と試薬との間の結合が「各々のイメージングの後に」切断されます。

 また、クレーム1の主題が進歩性の欠如により無効と宣言されることもありませんでした。原審によれば、当業者が、細胞または組織サンプルのその場での(in situ)分析のために、文献D8(Dzifa Y. Duose et al., Multiplexed and Reiterative Fluorescence Labeling via DNA Circuitry, Bioconjugate Chem. 2010, 21, 2327-2331)に記載されている解決策から逸脱し、代わりに文献D6で教示されているように、より多くの検体を検出できるようにするために、根本的に異なる状況から根本的に異なる方法を適用する理由が何であるかは示されておりません。文献D6自体は、当業者に、ASMのアレイに関して開示された符号化および復号化方法を、固体支持体上にマウントされた細胞または組織サンプルに移す理由を与えるものではありません。

 また、原審によれば、クレーム1が直接的および間接的に侵害されたことも十分に確実でした。NanoString社の製品において、検出は信号シグネチャのサイクルベースの順序に基づいており、単純に時間的順序に基づいて検出されるわけではないという事実は、本件特許による教示が実現されていないということを意味するものではありません。さらに、データがUPC締約国の領域外でクラウドベースのソリューションを使用して分析されたという事実は、問題の特許が侵害されていないことを意味するものではありません。

 

5.控訴裁判所の判断

 (1)UPCにおける仮差止命令の基本原則

 UPCの控訴裁判所は、本件仮差止命令申立事件の控訴審判決において原審(ミュンヘン地方部)で出された仮差止命令を取り消すとともに、その判決冒頭において、UPCで仮差止命令を認めるための基準を明確にしました。控訴裁判所は、略式手続における立証責任の適切なバランスを図るために、仮差止命令の申立人が、「申立人が訴訟を起こす資格を有すること」、「その特許が有効であること」、および「申立人の権利が侵害されているか、またはそのような侵害が切迫していること」を、「十分な程度の確実性を持って裁判所に納得させる合理的な証拠」を提出しなければならない、と説明しました。この「十分な程度の確実性」の基準は、「申立人が訴訟を起こす資格を有し、かつ特許が侵害されている可能性が高い」ことをUPCが認定することを求めています。特許が無効である可能性が高い場合、この基準は満たされません。

 申立人は、訴訟を開始する資格および侵害について立証責任を負い、侵害者とされる被申立人が無効性について立証責任を負います。差止命令を認めるかどうかを決定する際、UPCは、当事者の利益と、仮差止命令を認めるかまたは拒否するかによってどちらかの当事者に生じる潜在的な損害とを考慮する裁量権を有します。UPCは、この分析を、侵害の確実性と特許の有効性、事実的および時間的状況による差止命令の必要性、および被疑侵害者への潜在的な損害に基づいた柔軟な質問であると説明しています。

 (2)本件仮差止命令申立事件における特許無効の判断

 上記のように特許が無効である可能性が高い場合、仮差止命令を認める基準を満たさないものと判断されます。本件において控訴裁判所は、本件特許の主題は文献D6により新規ではないにも拘わらず、本件特許が有効である可能性が最も高いと推定した点において第一審裁判所は誤りを犯した、と判断しました。文献D6は、ゲノムDNAが血液サンプルから単離され、RCA(ローリングサークル増幅)によって修正されてASMが得られることを開示しています。これは、クレーム1の意味する範囲内において細胞または組織サンプルとしての起源を失わせるものではありません。さらに、クレーム1は、染色ごとに洗浄することによって信号シグネチャが除去される可能性を排除するものではありません。これが分子レベルでどのように起こるのか、デコーダプローブのみが除去されるのか、それともデコーダプローブと検出試薬の両方が除去されるのかは、判断されていません(控訴理由書のパラグラフ181)。

 いずれにしても、クレーム1の主題は進歩性に基づくものではありません。この点において、文献D8および文献D6は適切な開始点でした。文献D6から始める当業者にとって、in vitroの結果をin situまたはin vivoの状況に適用したいと思うのはルーティーンです。 これは、文献B30(Magnus Stougaard et al., In situ detection of non-polyadenylated RNA molecules using Turtle Probes and target primed rolling circle PRINS, BMC Biotechnology 2007, 7:69, htp://www.biomedcentral.com/1472-6750/7/69)からも分かるように、ASMにも当てはまります。

 このように控訴裁判所は、文献D6は、「細胞または組織サンプル中の」検体に適用されることを除いて、特許された方法のすべての特徴を開示している、と認定しました。控訴裁判所は、このような「細胞または組織サンプル中の」検体への適用は、文献D6のみに基づいて、または別の文献B30との組み合わせに基づいて、当業者にとって自明であろうと判断しました。

 (3)UPCにおける進歩性の判断

 本件において控訴裁判所は、当業者であればクレームされた方法を使用すれば成功を合理的に期待できたであろうと判断しました。控訴裁判所は、EPOでは一般的である「課題/解決」分析を厳格に適用するのではなく、先行技術文献に反映されているように、当業者の理解と能力に関する独自の分析に依拠しました。

 控訴裁判所は、いずれかの当事者の専門家ではなく控訴裁判所独自の技術裁判官に依拠してクレームの解釈および進歩性の評価を行うこと、およびEPOの課題/解決分析の厳格な遵守からは離れることについて、その積極的な役割を実証しました。今回の判決は、たとえ地方部の結論を修正する必要が生じるにしても、UPC全体を通じての法的基準を形成し、かつUPCの手続全体の一貫性を確保するという控訴裁判所の取り組みおよび責務を強調するものと言うことができます。

 

6.仮差止命令を申し立てる際の留意点

 本件控訴審判決の冒頭において示されたUPCの仮差止命令の基準は、ある程度の実体的な成功の可能性を求める点で、米国、ドイツ、フランスなどの各国の基準と同様ですが、そのための基準の柔軟性や関連する要素は国によって異なります。特許権者は、裁判地を選択して差し止めによる救済を求める場合には、そのような相違点に十分留意すべきです。

 たとえば米国を例にとって説明しますと、多くの基準はUPCと共通しますが、米国独自の基準として、差止命令が公共の利益にかなうものかどうか、という基準が考慮されます。米国の裁判所は、短期的な公共の利益(たとえば革新的な製品の市場での入手可能性の保証)と、欧州の裁判所によっても考慮され得る長期的な公共の利益(たとえば特許権の行使)とを考慮します。この結果、米国において特許権侵害に対し認められる仮差止命令のほとんどは、自己の発明を実施している特許権者に関するものです。これとは対照的に、UPCにおける申立人が発明非実施の事業体であるかどうかは、UPC協定の第47条および第62条(2)における差止救済のための「申立の資格」については意味がありません。

[情報元]

①McDermott News“What’s the Latest on the Unified Patent Court? | March 2024 Update”

(https://www.mwe.com/insights/legal-lens-on-the-unified-patent-court-march-2024/)

 

②“Order of the Court of Appeal of the Unified Patent Court issued on 26/02/2024 in the proceedings for provisional measures concerning EP 4 108 782”決定原文

(https://www.unified-patent-court.org/sites/default/files/upc_documents/576355-2023%20AnordnungEN.final_.pdf)

 

[担当]深見特許事務所 堀井 豊