IPR手続開始の裁量的拒否に関する最近のUSPTO長官代行の決定の紹介、および、長官代行体制下における実務上の留意点
2025年6月から7月にかけて、当事者系レビュー(Inter-Partes Review、以下「IPR」)に関して米国特許商標庁(USPTO)のCoke Morgan Stewart長官代行(acting director)により、特許審判部(PTAB)が行なったIPR手続開始(institution)の却下を支持する長官レビュー[i]の決定が相次いで出されました。
後で詳細に説明いたしますが、現在、USPTOの新長官人事は米国議会で審議中のため、臨時に長官代行の体制が取られているところです。以下、Stewart長官代行の決定の内容を紹介するとともに、Stewart長官代行がこれまでに出した決定やMEMORANDUMの内容を踏まえて、長官代行体制により生じうる問題点や実務上の留意点に言及します。
1.IPR請願人の主張が不公正であるとして裁量却下した長官代行の決定
(1)概要
Stewart長官代行は、特許権者によるIPR請願の裁量的拒否の要求に応じて、請願人がその従業員が発明者である特許に異議を唱えることにより、不公正な取引に関与したと認定し、IPR手続開始の却下を認めました。
Tessell, Inc. v. Nutanix, Inc.,IPR2025-00322(PTAB 2025年6月12日)
(2)事案の背景
Nutanix, Inc.(以下「Nutanix社」)は、米国特許第11,010,336(以下「’336特許」)の特許権者です。Nutanix社の4人の従業員が、’336特許の主題を発明したとき、彼らはNutanix社に勤務していました。そのうちの2人はTessell, Inc.(以下「Tessel社」)を設立するためにNutanix社を去り、後に他の2人をTessel社が雇いました。Tessell社は、現在、’336特許の発明者のほぼすべてを従業員として雇用しています。
Tessell社は、’336特許のクレームは特許性がない(unpatentable)と主張して、35 U.S.C. §311(a)[ii]に基づいてIPR請願書を提出しました。それに対してNutanix社は衡平性(equity)の観点から、IPR開始を裁量的に拒否することを要求しましたが、Tessell社はこれに反対しました。
(3)長官代行の判断
長官代行は、以下の理由により、特許権者による衡平性に基づく主張は説得力があると認めました。譲渡人の禁反言(assigner estoppel)の法理は、一般的には、特許を販売または譲渡した発明者が特許の有効性に異議を唱えることを防止します。譲渡人の禁反言は行政手続であるIPRには適用されません(Arista Networks, Inc. v. Cisco Sys., Inc.,(Fed. Cir. 2018))[iii]が、長官代行は、USPTOが35U.S.C.§314(a)[iv]に基づくIPR手続の開始を拒否する裁量を行使するかどうかを決定する際の要因として、不公正な取引(unfair dealings)を考慮する可能性があると説明しました。長官代行は、発明者が特許を取得するためにUSPTOのリソースを使用した後、その非特許性を主張することは公正さに欠けるとの観点から不適切であると判断しました。
以上の判断に基づき長官代行は、IPR手続の開始を拒否する裁量を行使しました。
(4)関連する訴訟との関係
本件IPRの被請願人(’336特許の特許権者)であるNutanix社は、Tessell社の設立者らがNutanix社在職中に開発した技術を転用したとして、著作権・特許侵害、営業秘密の不正取得等を主張して、カリフォルニア州北部地区連邦地方裁判所に訴訟を提起していました(下記「情報元3」参照)が、Tessell社側が仲裁条項に基づいて仲裁を主張したため、2025年3月12日に訴訟は一時停止されました。
通常はこのような訴訟の一時停止によって、USPTOでのIPR開始の裁量却下は留保されますが、本件訴訟においては、却下の理由である不公正性の主張が説得力を有したため、長官代行の裁量によりIPRの開始は却下されました。
2.PTABのIPR開始の判断に法的権限の濫用があるとして差し戻した、長官代行の決定
(1)概要
USPTOのStewart長官代行は、GoSecure, Inc.(以下「GoSecure社」)の米国特許第9,954,872号(以下「’872特許」)に対してCrowdStrike, Inc.(以下「CrowdStrike社」)が、「関連性(association)」というクレーム用語の異なる解釈に基づいて2件のIPRを請願した事案について、長官レビューとして再審理しました。
再審理の結果長官代行は、PTABによる2件同時のIPR手続開始の決定について、PTABによる裁量権の乱用(abuse of discretion)であると判断し、両決定を取消すとともに、PTABの審理手続に差し戻しました。
CrowdStrike, Inc. v. GoSecure, Inc., IPR2025-00068; -00070(PTAB June 25, 2025)
(2)事案の背景
CrowdStrike社は、GoSecure社の’872特許の同一のクレームに異議を唱える2つのIPRを請願し、それに対してPTABは、両方のIPR手続を開始しました。2つのIPRのうちの一方においては、「関連性(association)」というクレーム用語の広い解釈に基づき、1つの先行技術文献により自明であると主張し、他の1つのIPRにおいては、同じ用語のより狭い解釈に基づき、2つの先行技術文献により自明であると主張しました。
それに対してGoSecure社は、両方のIPR手続を開始することはPTABの裁量権の乱用であると主張し、長官代行によるレビューを要求しました。
(3)長官代行の判断および決定
長官代行は、以下の理由により、CrowdStrike社による2つのIPR請願はConsolidated Trial Practice Guide(CTPG)[v]の指針に対する例外とはならないと結論付けました。
長官代行は、CrowdStrike社の2つのIPR請願は、主にクレーム用語に適用される解釈の相違によって区別されると判断し、PTABはIPR手続を開始する前に問題の用語について解釈を示すべきであったと指摘しました。また長官代行は、PTABのIPR開始の決定は、CrowdStrike社に対して、1件当たりのIPR請願書に認められる文字数の制限を不適切に拡大することを許容することに相当し、PTABおよびGoSecure社に実質的かつ不必要な負担を課し、公平性、タイミング、効率性を損なう恐れがあるとの懸念を引き起こす可能性があると結論付けました。
以上の判断の結果、長官代行は、PTABのIPR開始決定を取り消し、差し戻しました。
長官代行は、決定の中で、「ほとんどの状況で特許クレームに異議を唱えるには1つの請願で十分であるべきである」というCTPGの指針を考慮して、クレーム解釈の問題を事前に解決する権限をPTABに与えるとともに、特許所有者は「PTABのパネルがクレーム解釈の決定を下すために必要なあらゆる議論を提出する」ことを許可されるべきであるとPTABに指示しました。
3.長官代行体制下における長官決定の傾向と、実務上留意すべき点
(1)現在のUSPTO長官代行体制の概要
2024年12月中旬にUSPTO長官のMs. Kathi Vidalが退任した後の2025年1月20日付けで、Ms. Coke Morgan Stewartが、米国商務省知的財産担当次官代行およびUSPTO長官代行に就任しました。(詳細はUSPTOのHPのhttps://www.uspto.gov/about-us/coke-morgan-stewart参照)
正式な次期商務省知的財産担当次官およびUSPTO長官として、Mr. John Squiresが2025年3月にトランプ大統領によって指名され、現在上院で審議中です。Mr. Squireが正式な長官に就任するためには、上院による承認が必要であり、上院の承認が得られるまでは、Ms. Stewartが長官を代行します[vi]。
USPTOの長官代行は、正式に任命された長官と同様に、以下の領域において強力な裁量を有します。
(i)35U.S.C.§314(a)に基づき、IPRの開始拒否を最終的に決定すること。
(ii)長官レビュー制度を通じてPTABの判断を再検討し、それを覆すこと。
(iii)Fintiv要素[vii]の運用方針、裁量却下の基準等のPTABの運用方針に関する最終判断
(iv)35U.S.C.§101(特許適格性)、§112(明確性)等に関する審査基準の方向性の決定。
(v)AI関連の政策(審査へのAIの活用、AIは発明者となり得るか等)に関する姿勢。
(2)PTABによる付与後手続開始(institution)の裁量拒否の運用の変遷
(i)AIA法における特許付与後のPTABによるレビュー
2012年の米国特許法改正(AIA法)により導入されたIPRやPGRでは、PTABが手続の開始を裁量で拒否できる制度(35U.S.C.§314(a))があります。2020年のApple v. Fintv, IPR2020-00019(巻末注7参照)以降、PTABは「Fintiv」要素を用いて、並行する連邦地裁訴訟の進行状況等を考慮し、レビューの開始を裁量で却下する事例が増加し、そのような裁量的却下は、レビューの申立人および特許権者の双方から、予測可能性や公正性に関する懸念が出ていました。
(ii)USPTOによるFintiv要素運用の明文化のためのルール案の発表
USPTOは、予測可能性および法的安定性を向上する目的で、2022年4月21日付で、Fintiv要素を用いた運用を明文化するルール案(ANPRM: Advanced Notice of Proposed Rulemaking)を発表し、パブリックコメントを募集しました。コメントの募集期間は2023年6月20日で終了しましたが、現時点では、寄せられた意見の精査中であり、正式なルール化には至っていません。ANPRMの詳細については、USPTOウェブサイトの下記URLをご参照下さい。
(iii)USPTO前長官(Ms. Vidal)による「暫定措置(interim procedure)」の発表(2022年6月)
Fintiv要素の適用を透明化、合理化し、予測可能性を高めること等を目的として、Vidal前長官は、暫定措置として、AIA改正法における特許付与後手続(IPR, PGR)で、並行する連邦地裁訴訟が係属中の場合のFintiv要素に基づく裁量却下の運用について発表しました。その発表には、強い無効理由がある場合や、Sotera対応(Sotera Stipulation)[viii]がある場合には、Fintiv要素に基づいては却下しないこと、等の措置が含まれていました。
(iv)上記暫定措置の撤回(2025年3月24日付USPTO発表のMEMORANDUM[ix])
USPTOは2025年3月24日、2022年6月のVidal前長官による暫定措置を撤回し、その後の判断基準を整理するMEMORANDUMを発表しました。このMEMORANDUMでは、主として、強い無効理由やSotera対応があっても、それだけでは裁量却下を回避できないこと、等が表明されました。なお、このMEMORANDUMは、Stewart長官代行ではなく、行政特許判事(Chief Administrative Patent Judge)であるMr. Scott R. Boalickの名前で出されています。
(v)Stewart長官代行によるガイダンスメモの発表(2025年3月26日付USPTO発表のMEMORANDUM[x])
上記MEMORANDUMが発表された2日後の2025年3月26日に、“Guidance Memorandum on PTAB Discretionary Denials”との文書名で、IPR(およびPGR)制度におけるレビュー開始(institution)の裁量拒否(discretionary denial)のガイドラインの再整備を目的とした政策文書を、Stewart長官代行が、就任後初めて発表しました。このMEMORANDUMは、2日前にUSPTOが発表したガイドラインを実務に落とし込むための運用手順を明確化したものであり、主な内容は次の通りです。
(a)長官および審判官複数名による裁量拒否の是非の判断を第1段階とし、第2段階として、別の合議体(panel)が実体的要件を審査する2段階(bifurcated)審査制度の導入。
(b)2日前のUSPTOのガイダンスメモを踏襲して、Fintiv要素の適用を運用の中心と位置付けること。
(c)従来のFintiv要素に加え、「確立された期待(settled expectations)」[xi]の基準や、審査官のマンパワー等のUSPTOのリソースと負荷等を、新たな裁量的要因を明記しています。
(3)実務上の留意点
(i)Stewart長官代行の決定の傾向
上記項目1および2で紹介したStewart長官代行によるIPR開始の裁量却下の決定は、それぞれ、請願人の主張が不公正であること、および、PTABの法的権限の濫用を理由としていました。また、これらの決定の少し前の2025年4月17日にStewart長官代行が行なったHulu LLC v. Piranha Media Distribution LLC (IPR2024-01252, 01253)のIPR開始についての決定[xii]では、審理中の並行裁判に適用されるFintiv要素の適用を拡張解釈し、連邦地方裁判所の35U.S.C.§101に基づく特許無効の判断が先に出ている場合、その後にPTABでIPRを開始するのは制度的効率性に反することから、審理開始を拒否できるとして、裁量却下しました。これらの決定はいずれも、Fintiv要素の適用よりも、公正さや効率性を重視する傾向が鮮明に表れていると言えます。また、2025年3月26日付のStewart長官代行のMEMORANDUMで導入された「二段階審査制度」や「確立された期待」の基準によって判断の枠組みが拡充されており、代行という立場であるために、当面の制度の安全性を優先するという多少保守的な面が表れているようにも見えます。
(ii)Mr.Squiresの長官就任後の制度変更の可能性
Mr.Squiresが上院の承認を得て正式なUSPTO長官に就任すれば、その出身背景や政策信条に基づいて、独自の制度変更を打ち出す可能性があります。特に、Fintiv要素の適用範囲、Sotera対応の評価基準、AI関連発明の発明者の問題、§101条に基づく特許適格性、並行訴訟とPTAB手続の関係、特許審査へのAIの活用等は、長官交代による運用変更の影響を受け易く、見直される可能性があります。Mr. Squiresの考え方については、たとえば、巻末注の「6.(i)」の文献をご参照下さい。
(iii)特許実務遂行に際して留意すべき事項
上述のように、近い将来に予想される新たな長官就任による制度の運用変更を想定して、特許実務遂行に際しては、クレーム構成や明細書の記載を、制度変更後も耐え得る保護範囲を確保すべく多様化させることが望まれます。並行訴訟がある場合のIPR等のPTAB手続開始の裁量却下の是非については、地裁とPTABの両方の動向を常時モニターする体制が求められます。
[情報元]
1.IP UPDATE (McDermott) “Looks like estoppel, sounds like estoppel … but it’s just director discretion” June 26, 2025
2.Tessell, Inc. v. Nutanix, Inc., IPR2025-00322 (PTAB June 12, 2025) (Stewart, Act. Dir.)(本件長官代行決定原文)
https://bannerwitcoff.com/wp-content/uploads/2025/06/IPR2025-00322.pdf
3.Nutanix, Inc. v. Tessell, Inc.(本件関連の地裁判決原文)
4.IP UPDATE (McDermott) “Seeing double? Director instructs Board to resolve claim construction pre-institution” July 2, 2025”
5.CrowdStrike, Inc. v. GoSecure, Inc., IPR2025-00068; -00070 (PTAB June 25, 2025)(本件長官代行決定原文)
https://www.uspto.gov/sites/default/files/documents/ipr2025-00068_paper25_.pdf
[担当]深見特許事務所 野田 久登
[i] 長官レビュー(Director Review)とは、PTABの審判官が下した決定に対して、長官が再審査を行なう制度をいいます。長官レビューの詳細については、USPTOのウェブサイト(下記URL)に説明されていますのでご参照ください。(https://www.uspto.gov/patents/ptab/decisions/revised-interim-director-review-process)
[ii] 第311条 当事者系再審査
(a) 一般
本章の規定に従うことを条件として,特許の所有者でない者は,特許の当事者系再審査を開始するための請願を庁に提出することができる。長官は行政規則によって,再審査請求人が納付すべき手数料を,長官が再審査の費用総額を考慮して合理的であると決定する金額によって設定しなければならない。
[iii] https://www.cafc.uscourts.gov/opinions-orders/17-1525.opinion.11-9-2018.pdf
[iv] 35USC§314 当事者系再審査の開始
(a)始め
長官が,第311条に基づいて提出された請願及び第313条に基づいて提出された応答において提示されている情報により,請願において異議申立されているクレームの少なくとも1に関して請願人が勝訴すると思われる合理的な見込みがあることが証明されていると決定する場合を除き,長官は,当事者系再審査の開始を許可することができない。
[v] Consolidated Trial Practice Guide(CTPG)は、USPTOにおけるPTABのIPRやPost-Grant Review(PGR)等の手続に関する実務ガイドラインを統合した文書であり、初版は2018年8月に公表され、その後の修正を経て、2019年7月に更新された改訂版が最新版となっています。CTPGは、IPRの複数請願の制限に関し、通常は1件の制限で足りるはずであり、複数の請願が必要とされるのは、特許のクレーム数が極端に多い場合や明確な技術的事情がある場合に限るものとしており、請願者は複数請願を正当化する理由を明示的に説明する責任を負います。CTPGの2019年7月に更新された改訂版のURLは、https://www.uspto.gov/sites/default/files/documents/tpgnov.pdf?MURL=TrialPracticeGuideConsolidatedです。
[vi] Mr. John Squiresについては、以下を参照。
(i)‟Nomination of John A. Squires To be Under …… Questions for the Record”, QUESTIONS FROM SENATOR GRASSLEY (https://www.judiciary.senate.gov/imo/media/doc/2025-05-21_qfrresponses_squires.pdf)
(ii)JETRO NY 「ホワイトハウス、John Squires 氏を USPTO 長官に指名」2025年3月11日」(https://www.jetro.go.jp/ext_images/_Ipnews/us/2025/20250311.pdf)
[vii] Fintiv要素(Fintiv Factor)とは、IPRを含む米国改正特許法AIAの付与後手続(AIA Post-Grant Proceedings)が地裁での訴訟と並行した場合におけるPTABによる審理開始の裁量的拒否(特許法314条(a))について、Fintiv事件(Apple Inc. v. Fintiv, Inc., IPR2020-00019, (PTAB Mar. 20, 2020))で提示された6つの判断要素を言います。Fintiv要素の詳細については、弊所HPの国・地域別IP情報の以下の記事をご参照下さい。
・https://www.fukamipat.gr.jp/region_ip/9725/ (2023.7.25配信)
・https://www.fukamipat.gr.jp/region_ip/13813/ (2025.6.3配信)
[viii] Sotera対応(Sotera Stipulation)とは、IPRの請願人が並行する地裁訴訟において、IPR請願理由と同じ無効理由を争わないことを約束することを言い、名称は、2020年12月1日決定のSotera Wireless, Inc. v. Masimo Corp,. IPR2020-01019に由来します。
[ix] 特許審判部の下記URL参照
[x] 特許審判部の下記URL参照
https://www.uspto.gov/sites/default/files/documents/InterimProcesses-PTABWorkloadMgmt-20250326.pdf
[xi] 「確立された期待(settled expectations)」とは、当事者等が、既存の法律や裁判例の下で当然に持つ安定的な期待を示す法的概念であり、特許に関しては、特許権者が特許付与時に想定していた権利範囲やその有効性に対する期待が、特許の存続期間を通じて安定的に保護されるべきだという考え方を意味します。
[xii] 弊所HPの国・地域別IP情報において2025.8.6付で配信された下記URLの記事をご参照下さい。
https://www.uspto.gov/about-us/news-updates/uspto-announces-advance-notice-proposed-rulemaking-potential-ptab-reforms