UPC協定発効前およびUPCからのオプトアウト期間中におけるUPCの裁判管轄権を認めたUPC控訴裁判所判決
2023年6月1日に、締約国に共通の単一の裁判所としての統一特許裁判所(UPC)の創設を目的とするUPC協定が発効しました[1]。それ以来UPCの最終審である控訴裁判所は先例となる重要な判決を下してきましたが、この度、UPC協定の発効前における裁判管轄権およびオプトアウトからオプトアウトの撤回までの期間における裁判管轄権に関する争点について重要な判断を示しました。
XSYS Italia Srl., XSYS Prepress NV., XSYS Germany GmbH. v. Esko-Graphics Imaging GmbH., Case No. UPC_CoA_156/2025; APL_8790/2025 (CoA Luxembourg June 2, 2024)
1.事件の経緯
(1)Esko-Graphics Imaging GmbH(以下、「Esko社」)は、2021年6月30付けで付与された欧州特許第3742231号(以下、「本件特許」)を所有しています。
(2)UPC協定発効前3ヶ月間のサンライズ期間[2]中の2023年5月12日に、Esko社は本件特許をUPCの裁判管轄権からオプトアウトしました。
(3)2023年6月1日にUPC協定が発効しました。
(4)2024年8月26日に、Esko社はオプトアウトを撤回しました。
(5)撤回の翌日の2024年8月27日に、Esko社は、XSYS Germany GmbH、XSYS Prepress N.V.、およびXSYS Italia S.r.l.の3社(以下、「XSYS社」と総称)が本件特許を侵害しているとして、UPCミュンヘン地方部(以下、「地方部」)に特許侵害訴訟を提起しました。
地方部での訴訟の対象とされたXSYS社による侵害行為は以下の行為を含みます。
・2023年6月1日のUPC協定の発効前および発行後の行為
・2024年8月26日のオプトアウトの撤回前および撤回後の行為
(6)2024年10月10日に、XSYS社は、Esko社の主張する侵害行為のうち以下の行為についてはUPCには判断する権限がないとして、UPC手続規則19.1(a)に従い地方部に予備的異議申立(Preliminary objection)[3]を提出しました。
・UPC協定の発効前の行為
・UPC協定の発効日からオプトアウト撤回日の間の行為
(7)2025年2月10日に、地方部はXSYS社によるこの予備的異議申立を却下する命令(order)を発する一方で、XSYS社がUPC控訴裁判所へ控訴することは許可しました[4]。
(8)2025年2月10日に、XSYS社は、この予備的異議申立の却下に不服を申し立ててUPC控訴裁判所に控訴しました。
2.UPCの裁判管轄権およびオプトアウトの概要
本件訴訟の争点の前提となるUPCの裁判管轄権およびオプトアウトの概要について説明します。
(1)統一特許裁判所の裁判管轄
UPC協定の全締約国に関して一括して付与される単一効特許に対してはUPCのみが裁判管轄権を有しますが(専属管轄)、UPC協定締約国で有効化された従来型の欧州特許もまたUPCの裁判管轄に入ります(UPC協定の非締約国で有効化された欧州特許にはUPCの裁判管轄権は及ばず各国の国内裁判所が管轄権を有します)。[5]
ただし、UPC協定締約国で有効化された従来型の欧州特許に関しては、UPC協定発効後の裁判管轄に関する移行期間(最短7年で最長14年)の間は、欧州特許の特許侵害および特許取消の訴訟をUPCだけではなく国内裁判所にも提起可能です(共同管轄)。移行期間経過後は、UPCのみの専属管轄となります。
(2)オプトアウトの意義
オプトアウトとは、UPC協定締約国で有効化された従来型の欧州特許を特許権者がUPCの裁判管轄から除外するための手続きです[6](単一効特許はオプトアウトできずUPCでの専属管轄となります)。オプトアウトは一つの欧州特許が有効化がされたすべてのUPC協定締約国に適用され、一部の締約国のみオプトアウトすることはできません。
(3)オプトアウト可能な時期
オプトアウトは、サンライズ期間の開始からUPC協定発効後の移行期間の満了の1ヶ月前まで可能です。特にサンライズ期間内にオプトアウトすることにより、UPCが始動した直後に取消訴訟のリスクにさらされることから逃れることができるとされました。
(4)オプトアウトに関するルール
欧州特許についてUPCでの訴訟が既に進行している場合にはもはやオプトアウトすることはできません。オプトアウトの撤回(オプトイン)も可能ですが一旦国内裁判所で訴訟が始まると撤回はできません[7]。また一度撤回すると二度目のオプトアウトは認められません。一旦オプトアウトしていると、オプトアウトは移行期間が過ぎても当該特許が存続する限り有効です(国内裁判所が管轄)。
3.本件訴訟の争点
地方部における原告(Esko社)および被告(XSYS社)の主張から本件予備的異議申立の争点は以下のように整理されると考えられます。
(1)2023年6月1日のUPC協定発効前における被告の行為に対してUPCの裁判管轄権が遡及的に及ぶか否か?
(2)原告による(UPC協定発効前の)2023年5月12日のオプトアウトから2024年8月26日のオプトアウトの撤回までの期間における被告の行為に対してUPCの裁判管轄権が及ぶか否か?
結果的に2023年5月23日のオプトアウトから2023年6月1日のUPC協定発効日までの期間は上記(1)および(2)の双方に含まれることになります。
4.地方部の判断
地方部はXSYS社の予備的異議申立を却下するにあたり、以下の点を認定しました。
・UPCは、本件訴訟について時間的な制限なく管轄権を有する。
・オプトアウトの撤回後、国内裁判所とUPCとの間に再び共同管轄が生じるようになったため、Esko社はUPCに侵害訴訟を提起することを決定できた。
・UPCは訴訟において主張された全期間にわたり管轄権を有し、当該管轄権は、UPC協定の発効前またはオプトアウトの撤回前に行われた行為に対して適用される法の決定に影響を与えるものではない。
5.UPC控訴裁判所の判断
(1)控訴人(XSYS社)の主張
XSYS社は控訴理由において様々な主張をしました。具体的には、XSYS社は、条約の遡及不適用の一般原則と、「条約法に関するウィーン条約(Vienna Convention on the Law of Treaties)」[8]とに基づき、UPC協定は遡及効を有しないとして異議を申し立てました。また、XSYS社は、北米自由貿易協定(NAFTA)にも言及しました。同協定によれば、仲裁裁判所は一貫して、NAFTA発効後に発生した事象についてのみ管轄権を有すると宣言しています。XSYS社はまた、UPC協定の暫定適用に関する議定書[9]にも言及し、UPCはオプトアウトからオプトアウト撤回までの期間は管轄権を有しないと主張しました。
(2)被控訴人(Esko社)の主張
Esko社はXSYS社の主張に対して反駁し、UPC協定の発効前に行われた侵害行為及びオプトアウトからその撤回までの期間に行われた侵害行為についてもUPCは管轄権を有すると主張しました。Esko社は、ウィーン条約は実体法の問題を扱っており、手続規則には及ばないと主張しました。
(3)UPC控訴裁判所の見解
UPC控訴裁判所は、UPC手続規則19.1により裁判管轄権の期間や欠如の問題は予備的異議申立の主題となり得るとし、本件予備的異議申立は受理可能と認めました。しかしながら、控訴裁判所は、本件予備的異議申立を受理したものの、申立には根拠がないと判断して棄却しました。
控訴裁判所は、UPCの裁判管轄権について規定するUPC協定第32条(1)[10]の文言は、侵害行為に関するUPCの専属裁判管轄権に時間的制限を規定していないと判断しました。さらに、控訴裁判所は、そのような時間的制限がないことは、欧州における特許市場の断片化や各国の国内裁判所制度の差異に起因する諸問題を防止するために共通裁判所を設立するというUPC協定の趣旨と目的を反映している、と述べました。また、控訴裁判所は、オプトアウトの撤回後、特許はいかなる制限もなく完全にUPCの裁判管轄権の下に置かれるため、オプトアウトの有効日からその撤回の有効日までの期間に発生した侵害行為に関する判決を下す権限はUPCにあると判断しました。
4.実務上の留意点
本件においてUPC控訴裁判所は、UPCの裁判管轄権には、UPC協定の発効前に発生した侵害行為も含まれることを明確にしました。ただし、UPCにおける訴訟の時点で、侵害されたと主張される特許がUPCの管轄権内にあることが条件となります。さらに、控訴裁判所は、オプトアウトの撤回によりオプトアウト期間中のUPCの管轄権が回復されることも確認しました。これにより、制度の断片化が回避され、UPC協定の目標である調和のとれた制度の構築が促進されます。
本件訴訟は、過去に特許権をオプトアウトしその後オプトアウトを撤回した特許権者がUPCを用いて当該特許権を行使することを検討している場合に、権利行使の確実性をもたらすものとして注目されます。
[1] UPC協定の詳細につきましては、弊所ホームページの2023年2月22日付け配信の記事「欧州単一効特許および統一特許裁判所について」をご参照ください(https://www.fukamipat.gr.jp/wp/wp-content/uploads/2022/12/230222_UPC.pdf)。
[2] UPCの稼働開始前に欧州特許および欧州特許出願をUPCの専属管轄から「オプトアウト」することが可能な3カ月の期間であり、2023年3月1日に開始し、2023年6月1日のUPC協定発効に伴い同年5月31日に終了しました。
[3] UPC手続規則19.1(a)は以下のように規定され、訴状の送達から1ヶ月以内に、訴訟対象特許にはオプトアウトが適用されるという申立を含む裁判管轄権に関する予備的異議申立を被告が提出できることを規定しています。
“1. Within one month of service of the Statement of claim, the defendant may lodge a Preliminary objection concerning:
(a) the jurisdiction and competence of the Court, including any objection that an opt-out pursuant to Rule 5 applies to the patent that is the subject of the proceedings;“
[4] 第一審裁判所の命令(order)に対する控訴についてはUPC協定第73条(2)に規定があり、特定の条項(UPC協定第49条(5)、第59条~第62条、および第67条)に関する命令以外の命令については、判決(decision)に対する控訴と同時にする場合(第73条(2)(b)(i))および第一審裁判所が控訴を許可(the Court grants leave to appeal)した場合(第73条(2)(b)(ii))に、控訴裁判所への控訴が認められます。
[5] たとえば、UPC協定の締約国であるドイツ、フランス、イタリア、非締約国であるイギリス、スペイン、スイスの計6ヶ国で有効化されていた欧州特許がある場合、ドイツ、フランス、イタリアについては単一効特許でなくても統一特許裁判所の管轄に入ります。統一特許裁判所の判決の効力はこれら3ヶ国に有効であるため、そのうちの1ヶ国の特許について統一特許裁判所に無効訴訟が起こされた場合、3ヶ国の特許がすべて取り消される大きなリスクがあります。
[6] オプトアウトについて、UPC協定第83条(3)は以下のように規定しています。
“(3) Unless an action has already been brought before the Court, a proprietor of or an applicant for a European patent granted or applied for prior to the end of the transitional period under paragraph 1 and, where applicable, paragraph 5, as well as a holder of a supplementary protection certificate issued for a product protected by a European patent, shall have the possibility to opt out from the exclusive competence of the Court.“
[7] オプトアウトの撤回について、UPC協定第83条(4)は以下のように規定しています。
“Unless an action has already been brought before a national court, proprietors of or applicants for European patents or holders of supplementary protection certificates issued for a product protected by a European patent who made use of the opt-out in accordance with paragraph 3 shall be entitled to withdraw their opt-out at any moment. In this event they shall notify the Registry accordingly. The withdrawal of the opt-out shall take effect upon its entry into the register.“
[8] 条約に関する国際法上の規則を統一した条約であり、1969年5月23日にウィーンで採択され、1980年1月27日に発行しました。
[9] 暫定適用期間を開始するための「暫定適用に関する議定書(Protocol to the UPC on provisional application)」であり、UPC発効前の準備期間中のUPC協定の暫定適用を規定するものです(暫定適用期間は2022年1月19日に開始)。
[10] UPC協定第32条(1)は以下のように規定しています。
(1) The Court shall have exclusive competence in respect of:
(a) actions for actual or threatened infringements of patents and supplementary protection certificates and related defences, including counterclaims concerning licences;
(b) actions for declarations of non-infringement of patents and supplementary
protection certificates;
(c) actions for provisional and protective measures and injunctions;
(d) actions for revocation of patents and for declaration of invalidity of supplementary
protection certificates;
(e) counterclaims for revocation of patents and for declaration of invalidity of supplementary protection certificates;
(f) actions for damages or compensation derived from the provisional protection conferred by a published European patent application;
(g) actions relating to the use of the invention prior to the granting of the patent or to
the right based on prior use of the invention;
(h) actions for compensation for licences on the basis of Article 8 of Regulation (EU)
No 1257/2012; and
(i) actions concerning decisions of the European Patent Office in carrying out the tasks
referred to in Article 9 of Regulation (EU) No 1257/2012.
[情報元]
1.D Young & Co Patent Newsletter No.109 | 31 October 2025 “Temporal limitations of the UPC: XSYS v Esko”
(https://www.dyoung.com/en/knowledgebank/articles/upc-temporal-limitations)
2.FINAL ORDER of the Court of Appeal of the Unified Patent Court concerning an application for provisional measures issued on 20 December 2024(UPC控訴裁判所判決原文)
[担当]深見特許事務所 堀井 豊

