審決取消訴訟での権利化手続きに関する「懈怠の抗弁」の適用についての連邦地方裁判所の判断を支持したCAFC判決
米国連邦巡回控訴裁判所(CAFC)は、米国特許法(35U.S.C.)第145条)[1]に基づく訴訟において、出願審査等の権利化手続きの遅延をもたらす懈怠行為に基づく衡平法上の抗弁(英語では「prosecution laches」)の適用に関する米国特許商標庁(USPTO)に対する連邦地方裁判所(以下「地裁」)の判決を支持しました。
以下、米国特許法第145条に基づく訴訟を「§145訴訟」、出願審査等の権利化手続きにおいて遅延をもたらす懈怠行為に基づく衡平法上の抗弁を「懈怠の抗弁」と略記します。
CAFCはまた、原告が最初の訴状提出後に異議を申し立てられた際に具体的な損害の証拠を提出できなかったため、地裁には特定の請求に対する米国憲法第III条[2]の管轄権がないことに同意しました。
Hyatt v. Stewart, Case Nos. 2018-2390; -2391; -2392; 2019-1049; -1038; -1039; -1070; 2024-1992; -1993; -1994; -1995 (Fed. Cir. Aug. 29, 2025) (Reyna, Wallach, Hughes, JJ.) (precedential).
1.事件の背景と訴訟の流れ
(1)GATTバブル出願の経緯
発明者であるGilbert Hyatt 氏(以下「Hyatt氏」)は、GATT移行期(1995年6月のウルグアイ・ラウンド協定発効前の数か月の期間)において、「GATTバブル出願(GATT Bubble Applications)[3]」と呼ばれる多数の特許出願を行なっていました。問題となったのは、そのうちの4件の出願に関して、審査官による拒絶に対してHyatt氏が特許審判部(以下「PTAB」)に不服申立て(審判請求)を行ない、結果として一部のクレームについては拒絶維持、他のクレームについては拒絶取消しとなった点です。
(2)地裁における訴訟
Hyatt氏は、PTABの決定を不服として地裁に§145訴訟を提起しました。
これに対しUSPTOは、「①Hyatt氏が多数のGATTバブル出願を行なうことにより出願審査を意図的に遅らせたため、衡平法上特許を認めるべきでなく、②仮に出願審査遅延が問題なくても、先行技術に基づき特許要件を満たさず、また、記載上の不備があるために、特許は認められない」という二重の防御的主張を行ないました。
PTABの決定に対する上訴として、一般的には米国特許法第141条[4]に基づく訴訟が選択されるにもかかわらず、Hyatt氏が§145訴訟を選択した理由については、以下の項目「2」で考察します。
(3)2021年のHyatt v. Hirshfeld判決と差戻し後の審理
地裁は初審でHyatt氏に有利な判断を示しましたが、CAFCは2021年に当該判断を破棄し地裁に差し戻す判決を下しました(Hyatt v. Hirshfeld判決、以下「Hyatt I判決」)[5]。差戻し後、地裁はベンチトライアル(陪審員に依らずに裁判官のみで行なう審理)を実施し、USPTO側の主張を認め、Hyatt氏による出願審査の遅延をもたらす行為を理由として、Hyatt氏の請求を棄却しました。
(4)CAFCによる最終判断
2025年8月29日に言い渡されたCAFCによる本件判決(Hyatt v. Stewart判決、以下「Hyatt II判決」)は、差戻し後の複数事件を統合して審理したものであり、CAFCは最終的にUSPTO勝訴、Hyatt氏敗訴とする判断を下しました。
2.Hyatt氏が§145訴訟を選択した理由について
Hyatt氏がPTABの決定に対して§141訴訟ではなく§145訴訟を選択した理由については、判決からは直接的には読み取れませんが、以下のような点が考えられます。
(i)新証拠提出の必要性
- 141訴訟の場合、CAFCはUSPTOの行政記録をもとに「USPTOに法的誤りがあったか否か」しか審理できず、原則として事実認定の再検討や新証拠の採用は行われません。
Hyatt氏の案件は、何十年も前に出願された、いわゆるGATTバブル出願を巡るもので、出願経緯の複雑性から、USPTOの審査記録だけでは自らの主張を十分に立証できない状況でした。§145訴訟であれば、地裁で新たな宣誓証言、実験データ、技術的説明資料などを提出でき、審査のやり直しに近い形で争う余地を確保できました。
(ii)USPTO側の行為の立証可能性
- 145訴訟はUSPTO長官を被告として起こす「原告対行政庁」の訴訟であるため、単なる法令解釈争いにとどまらず、審査過程での不当な遅延や不合理な拒絶理由の主張など、USPTOの手続的過失を含めて立証することができます。
Hyatt氏は、長期にわたるUSPTOの「審査放置・拒絶乱発」が自らの権利行使を妨げたと主張しており、この点も§145訴訟を選択した大きな理由であると思われます。
3.本件判決(Hyatt II判決)におけるCAFCの判断
(1)§145訴訟における「懈怠の抗弁」の適用可否
本件においてHyatt氏は、35U.S.C.§145に基づく訴訟において、USPTOがHyatt氏による出願審査の遅延をもたらす行為を理由とする「懈怠の抗弁」を主張することはできないと主張しました。さらに同氏は、2件の最高裁判決、すなわち2014年言渡しのPetrella v. MGM判決(以下「Petrella判決」)および2017年言渡しのSCA Hygiene v. First Quality Baby Products判決(以下「SCA Hygiene判決」)が、法定時効のある訴訟における「懈怠の抗弁」を否定した点を踏まえ、これらの最高裁判決の判旨が本件にも及ぶと主張しました。(上記2件の最高裁判決については、以下の項目「4」で補足説明します。)
しかしながらCAFCは、これらの主張はすでにHyatt I判決において退けられており、既判性法理(law-of-the-case doctrine)により再度主張することは許されないと判断しました。また、§145訴訟には明示的な時効規定が存在しない[6]ため、Petrella判決およびSCA Hygiene判決の判旨は直接適用されないと指摘し、USPTOによる「懈怠の抗弁」の適用可能性を維持しました。
その結果、CAFCは地裁が「懈怠の抗弁」の成立を認めた判断に裁量権の濫用(abuse of discretion)はないとし、地裁の判断を支持しました。
(2)地裁の事実認定および裁量判断の是認
差戻し後、地裁は3週間にわたるベンチトライアルを実施し、247項目に及ぶ事実認定を行いました。Hyatt氏は、審査段階での「懈怠の抗弁」による拒絶を覆した1992年当時のPTABの決定に鑑みHyatt氏にはその出願戦略を変更する理由がなかったとして、1992年から2002年に至る自身の権利化行為を正当であると主張しましたが、CAFCはこの主張が審理段階で適切に提示されなかったとして、主張放棄(forfeiture)を認定しました。
さらにCAFCは、Hyatt氏による出願審査遅延に合理的理由がなく、USPTO側に実質的な不利益(prejudice)を生じさせたと認めました。こうした事実関係に照らし、CAFCは地裁の判断に裁量逸脱はないと結論づけました。これにより、長期にわたる出願の継続や補正行為が衡平法上の制裁対象となり得ることが改めて確認されました。
(3)憲法第III条に基づく訴訟要件の判断
(i)拒絶が取消されたクレームに関する地裁の管轄権について
Hyatt 氏は、PTABが拒絶を取り消したクレーム部分についても§145訴訟の対象とすべきであると主張しました。しかしCAFCはこれを退け、当該部分については「事件性(case or controversy)」の要件を欠くため、地裁には管轄権がないと判断しました。
またCAFCは、§145訴訟が法定上の救済手段を与えるものであっても、憲法第III条に基づく訴訟要件である「実際の損害(injury)の存在」、「訴訟原因(causation)の存在」、「救済可能性(redressability)」を免除するものではないと明言しました。また、Hyatt氏が「具体的な損害(concrete injury)」を示さなかったため、PTABが拒絶を取消したクレーム部分に関する訴訟は不適法とされました。
(ii)Hyatt氏が拒絶が取消されたクレームについても§145訴訟を提起した理由
地裁の管轄権がないとされるリスクがあったにもかかわらず、何故PTABが拒絶を覆したクレームについてもHyatt氏が§145訴訟を提起したのか、判決文には明記されていませんが、以下のような理由が考えられます。
PTABが一部のクレームの拒絶を取り消したことは、PTABによりそのクレームは登録可能と判断されたことを意味するものの、登録自体はまだ完了しておらず、USPTOが実際に特許付与に進むとは限りません。
Hyatt氏は、長年にわたり数百件の出願を保留状態にしており、USPTOとの関係が極めて対立的であったことから、USPTOが他の理由で改めて拒絶するといった対応を取る可能性が懸念されました。
そのためHyatt氏は、すべてのクレームについて地裁の判断を得ることで、クレームごとの特許性判断を司法的に確定させ、USPTO側に再審査や再拒絶の余地を与えないようにしようとしたものと推測されます。
(4)本件Hyatt II判決の結論と意義
以上の判断を踏まえ、CAFCは地裁の判断を全面的に支持し、最終的にUSPTO側の勝訴、Hyatt氏の請求棄却という結論に至りました。
本件Hyatt II判決は、「①§145訴訟における「懈怠の抗弁」の適用可能性を明確化するとともに、②審査遅延に対する衡平法上の制裁の妥当性を確認し、③憲法第III条に基づく訴訟適格要件を厳格に適用した」という点で意義を有します。したがって、Hyatt II判決は、長期出願戦略をめぐるUSPTOとの係争において、制度的衡平の観点から出願人の行動を制約する法理を再確認した重要な判断であると言えます。
4.2件の最高裁判決についての補足説明
以下、2件の最高裁判決と本件訴訟との関係について、補足説明します。
(1)Petrella判決について
Petrella判決は、著作権者Petrella氏が映画『レイジング・ブル』の侵害を理由に損害賠償を請求した事案で、被告MGMは権利行使の遅延を理由に「懈怠の抗弁」を主張しました。最高裁は、著作権法に3年の法定時効(17 U.S.C. §507(b))が明示されている[7]ことから、裁判所が衡平法上の「懈怠の抗弁」を追加的に適用することは議会の意思に反すると判示しました。よって、法定時効のある訴訟では「懈怠の抗弁」の主張は許されないことになります。
(2)SCA Hygiene判決について
SCA Hygiene判決は、紙おむつ特許の侵害訴訟において出されたもので、被疑侵害者は特許権者の長期の不作為を理由に「懈怠の抗弁」を主張しました。最高裁は、特許法にも6年の損害賠償請求時効(35 U.S.C. §286)が存在することを踏まえ、Petrella判決を援用して、この法定期間内の請求を「懈怠の抗弁」で排除することは許されないとしました。ただし、差止命令など衡平法上の救済の範囲の判断には遅延を考慮し得るとしています。
(3)本件Hyatt II判決との関係
Hyatt氏は上記2件の判決を根拠に、§145訴訟でも「懈怠の抗弁」は認められないと主張しました。しかしCAFCは、上述のように、§145訴訟には明示的な時効規定が存在しないため、PetrellaおよびSCA Hygieneの理論は直接適用されず、USPTOによる「懈怠の抗弁」の主張は可能と判断しました。すなわち、時効のある訴訟では「懈怠の抗弁」は認められず、時効のない訴訟では「懈怠の抗弁」を適用可能という構図が明確化されたものといえます。
5.本件Hyatt II判決から読み取れる実務上の留意点
(1)長期継続出願戦略への警鐘
本件は、数十年にわたる継続出願や意図的な審査遅延をもたらす行為が、衡平法上の不当行為として裁判所により制裁的に扱われ得ることを示しました。
特に、出願人側の行為がUSPTOの審査負担の不当増大や、第三者の予測可能性の阻害、制度運営への支障をもたらす場合、CAFCは「懈怠の抗弁」の適用を認める傾向を明確にしています。
したがって、意図的・戦略的な出願遅延(いわゆるsubmarine patent型戦略)は、もはや実務的に許容されないと理解すべきです。
(2)USPTOによる「懈怠の抗弁」主張の可能性
本判決により、§145訴訟(審判決定不服に対する地裁への提訴)においてもUSPTOが「懈怠の抗弁」を主張できることが改めて確認されました。これは、行政審査段階の遅延行為が、出願人による不誠実な訴訟活動に転化した場合にも抗弁対象となることを意味します。
実務的には、USPTO側は「出願経過全体(file history)」を通じた出願人による遅延・補正の蓄積を証拠として提示しうるため、出願人は出願履歴の透明性と説明可能性を確保することが不可欠です。
なお、仮にHyatt氏が§145訴訟でなく§141訴訟を提起していた場合には、CAFCはUSPTOの行政記録に基づいて法律問題を審理することしかできないことから、Hyatt氏側の長期にわたる審査遅延をもたらす行為や非協力的対応等が改めて精査されることもなかったと考えられ、USPTOによって「懈怠の抗弁」が主張されることもなかった可能性があります。このことから、§145訴訟の選択は、結果としてHyatt氏に不利な結果をもたらしたものであり、Hyatt氏の戦略は裏目に出たことになります。
(3)“Petrella/SCA Hygiene”判例との区別の理解
上述の2件の最高裁判決を根拠に、出願人側はしばしば「最高裁が『懈怠の抗弁』を否定した」と主張しますが、本件判決においては、以下のように明確にこれとは区別しました。
Petrella判決やSCA Hygiene判決は、法定時効が存在する請求権類型(著作権・特許侵害訴訟)に限定されるものであり、その一方で、§145訴訟の場合は米国特許法第145条に時効規定が存在しないため、衡平法上の裁量による「懈怠の抗弁」が依然有効であるとされました。
この点は、出願人側の抗弁方針立案時に注意すべき法的枠組みです。
(4)憲法第III条に基づく訴訟適格要件の厳格化
CAFCは、拒絶が取り消されたクレーム部分については「事件性」が存在しないとして、地裁の管轄を否定しました。したがって、§145訴訟を提起する際は、実際に不利益を被った具体的なクレームのみを対象とする必要があります。
PTABで認められたクレームを含めて包括的に争うことは、もはや許されないことから、実務上は、訴訟対象のクレームの特定および訴訟利益(standing)の確認を慎重に行なうことが必要です。
(5)訴訟戦略上の要請
本判決においてCAFCが地裁の「裁量判断」を広範に尊重したことから、今後、審判段階での出願人による審査段階での不作為や遅延をもたらす行為の認定を訴訟段階で覆すことは困難になると考えられます。
したがって、審査過程における戦略決定(補正時期・継続出願方針・応答遅延など)を訴訟リスクの一環として慎重に管理することが、実務上要請されます。
[情報元]
1.IP UPDATE (McDermott) “Claims barred by laches: Prosecution delay doesn’t pay, nor does skipping evidence of concrete injury”(September 11, 2025)
2.Hyatt v. Stewart, Case Nos. 2018-2390; -2391; -2392; 2019-1049; -1038; -1039; -1070; 2024-1992; -1993; -1994; -1995 (Fed. Cir. Aug. 29, 2025)(本件判決原文)
https://www.cafc.uscourts.gov/opinions-orders/18-2390.OPINION.8-29-2025_2565719.pdf
[担当]深見特許事務所 野田 久登
[1] 米国特許法第145条は、米国特許商標庁(USPTO)の拒絶審決に不服がある出願人が、連邦地方裁判所にUSPTOを提訴して特許付与を求めることができる手続きを定めています。これは、CAFCへの直接上訴(第141条)とは異なる代替的な手段であり、手続き費用をすべて出願人が負担する必要があります。
[2] 米国憲法第III条は、最高裁判所を含む司法制度を定義し、連邦裁判所の設立、裁判官の任命、管轄権の範囲、反逆罪の定義、陪審制裁判の要求などについて定めています。
[3] GATTバブル出願については、弊所HPにおいて2023年3月27日に「GATTバブル出願を特許発行を遅らせる不当なスキームであるとして権利行使不能と判断したCAFC判決紹介」と題して配信した記事(https://www.fukamipat.gr.jp/region_ip/9334/)をご参照下さい。
[4] 米国特許法第141条は、特許出願人がCAFCに対して、特定の状況下で特許を付与するよう請求するための手続きを規定しています。これは、USPTOが特許の付与を拒否した事件で、特許出願人がCAFCに直接提訴して、特許の付与を命じることを求めるものです。
[5] GATTバブル出願に関連して参照した文末脚注3に示す弊所配信記事には、Hyatt I判決についてもやや詳細に言及されています。
[6] 本件で言う「法定時効」は、定められた期間を徒過すると著作権、特許権等の権利に基づく損害賠償請求権等の請求権自体が消滅する時期的規定を意味します。米国特許法第145条のただし書きには、「当該民事訴訟が,長官が定める,前記決定後60日を下回らない期間内に開始されることを条件とする。」と記載されていますが、この「60日ルール」は訴訟提起のための手続的要件に過ぎず、請求権の消滅をもたらすような「法定時効」には該当しません。
[7] 17U.S.C.(米国著作権法)§507(b)は、「No civil action shall be maintained under the provisions of this title unless it is commenced within three years after the claim accrued.(この法律に基づく民事訴訟は、当該請求が発生した後3年以内に提起されない限り、維持することができない。)」と規定しています。

