英国における従来の特許適格性の審査手法を廃止してEPOの審査手法に整合する方向に転換すべきと判断した英国最高裁判所判決
英国最高裁判所(the UK Supreme Court)は2026年2月11日付け判決において、従前のコンピュータ実装発明の審査手法を廃止し、純粋なコンピュータプログラム「そのもの(as such)」に関する発明は、物理的なハードウェアの実装のための何らかの形態を含む場合には特許適格性の除外事項に該当しないとする欧州特許庁(EPO)の審査手法を採用することを明らかにしました。そして、人工ニューラルネットワーク(Artificial Neural Network:以下、「ANN」)に向けられた本件発明は、実装に物理的ハードウェアを必要とするコンピュータプログラムそのものであると認定した上で、そのような何らかのハードウェアを必要とするコンピュータプログラムは特許適格性の除外事項には該当しない、という判断を示しました。
Emotional Perception AI Limited v Comptroller General of Patents, Designs and Trade Marks([2026] UKSC 3)
1.事件の経緯
(1)本件英国特許出願について
2019年4月3日にMashtraxx Limited.社は、音楽ファイルの整理に使用されるANNに向けられた発明(以下、「本件発明」)に関する特許出願(以下、「本件出願」)を英国知的財産庁(the Intellectual Property Office:以下、「UKIPO」)に提出しました(出願番号1904713.3:公開番号GB 2583455)。本件出願はその後、Emotional Perception AI Limited.(以下、「Emotional社」)に譲渡され現在に至っています。
(2)UKIPOによる本件出願の拒絶
UKIPOの審査官は、ANNに向けられた本件発明は、数学的方法およびコンピュータプログラムそのものに関するものであり、英国特許法第1条(2)に規定する特許性除外事項に該当するとしたヒアリング前報告書(pre-hearing report)を発行しました。2022年3月15日にヒアリングが実施され、その結果、2022年6月22日付けでUKIPOのヒアリング担当官は、本件発明はコンピュータプログラムそのものであって英国特許法1条(2)に規定する特許性除外事項に該当すると判断し、本件出願を拒絶する処分を下しました。
(3)高等法院への上訴
本件出願の出願人であるEmotional社は、本件発明はコンピュータプログラムそのものであるとするUKIPOの拒絶処分を不服として、イングランドおよびウェールズ高等法院(England and Wales High Court:以下、「高等法院」)に上訴しました。高等法院は2023年11月21日付けで、本件発明にはコンピュータプログラムが関与しているものの実際のプログラムは副次的なものであってプログラムがクレームされている訳ではないとして、Emotional社の主張を認める判決を下しました。
(4)控訴院への上訴
UKIPOは、高等法院の判決を不服として、イングランドおよびウェールズ控訴院(民事部)(England and Wales Court of Appeal (Civil Division):以下、「控訴院」)に上訴しました。控訴院は一転して2024年7月19日付けで、UKIPOによる主張を認めて本件発明はコンピュータプログラムそのものであって英国特許法1条(2)に規定する特許性除外事項に該当するとした判決を下しました。
(5)最高裁判所への上訴
Emotional社は、控訴院の判決を不服として最高裁判所に上訴しました。最高裁判所院は今般、2026年2月11日付けでEmotional社による主張を認める判決を下しました。
2.関連条文の説明
本件訴訟は、上述のように音楽ファイルの整理に使用されるANNに向けられた出願に関するもので、ANNがコンピュータプログラム「そのもの(as such)」とみなされるべきかどうか、すなわち英国特許法第1条(2)に規定する特許性除外事項に該当するかどうかについて、UKIPO、高等法院、控訴院で見解が分かれていました。本件訴訟の争点に関する英国特許法第1条の条文(抜粋)およびその弊所訳を下記に示します(太字下線は筆者が強調のため付加)。
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Section 1: Patentable inventions
(省略)
(2) It is hereby declared that the following (amongst other things) are not to be regarded as inventions for the purposes of this Act—
(a) a discovery, scientific theory or mathematical method;
(b) a literary, dramatic, musical or artistic work or any other aesthetic creation whatsoever;
(c) a scheme, rule or method for performing a mental act, playing a game or doing business, or a program for a computer;
(d) the presentation of information;
but the foregoing provision shall prevent anything from being treated as an invention for the purposes of this Act only to the extent that a patent or application for a patent for that thing relates to that thing as such.
(省略)
第1条:特許可能な発明
(2) 本法の適用については、以下の事項は発明とはみなさないことをここに宣言する。
(a) 発見、科学的理論または数学的方法
(b) 文学的、戯曲的、音楽的または美術的作品、またはその他審美的創作物
(c) 精神的活動を実行し,遊戯を行い、または業務を行うための計画,規則若しくは方法、またはコンピュータプログラム
(d) 情報の提示
ただし、前記の規定は,特許又は特許出願が当該事項そのものに関係する限度においてのみ当該事項を本法の適用上の発明として扱うことを妨げるものと解さなければならない。
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3.本件発明の概要
本件発明は、ANNを用いて、音楽や画像などのデジタルコンテンツに対する人間の主観的な感情や知覚を模倣・分析する技術を提案するものです。従来のAIが客観的な数値データのみに依存していたのに対し、たとえば本件出願のクレーム1[i]によるシステムでは、セマンティック(意味論的)な距離とファイルから抽出したコンテンツの物理的特徴とが近づくようにバックプロパゲーション(誤差逆伝播法)を通じてANNを訓練し、このANNにより物理的特徴から意味論的記述の推測が可能になります。ファイルから抽出したコンテンツの物理的特徴を訓練されたANNに入力して得られたベクトルをデータベースの参照ファイルと比較することにより、ユーザーはジャンルなどの形式的な分類に縛られず、個人の感性や情緒的な共通性に基づいた高精度なコンテンツ検索や推薦を受けることが可能になります。この技術は、特に膨大なライブラリからの類似楽曲の特定や、映像制作における感情的な文脈に沿った音響の選定に大きな利点をもたらします。
4.最高裁判所の判断
最高裁判所では、以下に説明する3つの争点について検討がなされました。
(1)Aerotel事件判例は踏襲されるべきか?
英国において、特許適格性の判断、特にコンピュータプログラムやビジネス方法などの特許適格性からの除外対象を判断するための枠組みとして、Aerotelの4段階アプローチ(Aerotel four-step approach)が採用されてきました。この枠組みは、Aerotel Ltd v Telco Holdings Ltd and Others; In re Macrossan’s Application事件(EWCA Civ 1371)において、英国控訴院が示したものです。
このAerotelの4段階アプローチは以下の4段階で構成されます。
(ⅰ)クレームの適切な解釈(Properly construe the claim)
クレームを適正に解釈し、発明の技術的内容や本質を把握します。
(ⅱ)実質的な貢献(actual contribution)の特定
発明が従来技術に対して何を新たに貢献しているのかを特定しますが、ここでは、形式ではなく実質(substance)が重視されます。
(ⅲ)除外対象に該当するかの判断
特定した「貢献」が、特許法上の除外対象そのものかを検討します。
(ⅳ)技術的性質(technical nature)の有無
その貢献が除外対象そのものに該当しない場合、単なる抽象的・知的活動にとどまるものではなく実際に技術的な性質を有するかを検討します。
このように英国で採用され確立されたAerotelの4段階アプローチは、「貢献(contribution)」という概念を中心に据えている点が特徴であり、欧州特許庁(EPO)の「技術的効果(technical effect)」に重点を置くアプローチとは異なる独自のアプローチです。Aerotelの4段階アプローチでは、発明が新規な技術的貢献をしているかどうかが中心的な問題となりますが、上記の(ⅲ)の除外事項の検討に関してはこの点は考慮されません。これに対し、EPOが採用し拡大審判部による審決G 1/19(2021年3月10日)で承認された「何らかのハードウェア(any hardware)」アプローチでは、物理的なハードウェアを具現化または使用するものであれば特許対象から除外されないと定められています(ただし、進歩性は欠如している可能性があります)。
この度英国最高裁判所は、本件判決において、Aerotelの4段階アプローチは発明が成立するかどうかの評価と新規性および進歩性の評価とを混同しており、これらは別々に扱われるべきであると判断しました。最高裁判所は、新規性および進歩性とは別に、クレームが発明に該当するか否かという問題をまず最初に検討するEPOのG 1/19方式の方が、クレームの対象が発明であるか否かという問題のみに特化して対処する点で優れていると判断しました。最高裁判所は一方で、控訴院がPozzoli SPA v BDMO SA 事件(2007 EWCA Civ 588)で示したPozzoliのアプローチ[ii]が英国における進歩性評価の確立された方法であること、そして「何らかのハードウェア」アプローチがPozzoliのアプローチと共存できることを示しました。
(2)ANNは「コンピュータプログラム」なのか(あるいはコンピュータプログラムを含むのか)?
最高裁判所は、ANNはデータ操作のための命令の集合であり、したがってコンピュータプログラムそのものであるというヒアリング担当官の見解に同意しました。最高裁判所はまた、「ハードウェアANN」と「ソフトウェアANN」との区別を否定し、ANNを、そのトポロジー、活性化関数、重み、バイアスが一体となってハードウェアへの命令を構成する抽象的な計算モデルとして扱いました。
(3)クレームの主題全体が特許対象から除外されるのか?
最高裁判所は、「何らかのハードウェア」アプローチを適用し、ANNをコンピュータプログラムと考えることで、クレームは発明に該当すると判断しました。最高裁判所は、「何らかのハードウェア」アプローチは、クレームが発明とみなされるためのハードルを非常に低く設定していることを認めました。これはまた、純粋なコンピュータプログラム「そのもの」を対象とした発明であっても、実装に物理的なハードウェアを必要とする場合は、特許性から除外されないことを意味します。
最高裁判所は、発明全体の技術的性質に寄与しない特徴を除外するための、EPOのG 1/19決定の中間的段階の必要性を認めました。G 1/19のこの段階は、(EPOの進歩性に関する課題解決アプローチから引き出された)技術的課題に対する技術的解決策という観点から記述されているため、最高裁判所はこれに従わないことを決定し、UKIPOおよび英国の裁判所は、技術的性質を特定するための適切な方法であれば、どのような方法でも採用する用意があることを指摘しました。この中間段階は英国ではこれまで適用されたことがないため、最高裁判所は、この段階を定義したり、係争中のクレームに適用したりすることは適切ではないと判断しました。したがって、最高裁判所は、本件出願の特許性についてこれ以上のコメントをすることなく、出願をUKIPOに差し戻して再検討を命じました。
5.本件発明の評価
この判決は、英国におけるコンピュータ実装発明の審査方法を根本的に変革するものであり、たとえ現時点では英国で採用される具体的な審査手法がまだ確定していないとしても、この判決はAIの特許性に影響を与えるだけでなく、英国とEPOとの間でコンピュータ実装発明の評価方法に関して一定の調和をもたらす画期的な判決であります。英国はEPOが確立した「何らかのハードウェア」の基準を採用した結果、何らかの技術的ハードウェア(たとえ汎用的なものであっても)を含むクレームは、特許法第1条(2)項の除外規定を容易に回避し、発明として認められるようになりました。そして、特許性のハードルは今や自明性の分析にしっかりと重点が置かれるようになりました。
[i] 本件出願のクレーム1の原文および弊所仮訳を以下に示します。
Claim 1:
A system for providing semantically relevant file recommendations, the system containing:
(a) an artificial neural network “ANN” having an output capable of generating a property vector in property space, the ANN trained by subjecting the ANN to a multiplicity of pairs of training data files sharing a content modality and where for each pair of training data files there are two independently derived separation distances, namely: a first independently derived separation distance that expresses a measure of relative distance between a first pair of training data files in semantic embedding space, where the first independently derived separation distance is obtained from natural language processing “NLP” of a semantic description of the nature of the data associated with each one of the first pair of training data files; and a second independently derived separation distance that expresses a measure of relative distance similarity between the first pair of training data files in property embedding space, where the second independently derived separation distance is a property distance derived from measurable properties extracted from each one of the first pair of training data files, and wherein training of the ANN by a backpropagation process uses output vectors generated at the output of the ANN from processing of said multiplicity of pairs to adjust weighting factors to adapt the ANN during training to converge distances of generated output vectors, in property embedding space, towards corresponding pairwise semantic distances in semantic space, and wherein shared content modality is: (i) video data files; or alternatively (ii) audio data files; or alternatively (iii) static image files; or alternatively (iv) text files; and
(b) a database in which is stored a multiplicity of reference data files with content modality with target data and a stored association between each reference data file and a related individual property vector, wherein each related individual property vector is obtained from processing, within the trained ANN, of file properties extracted from its
respective reference data file and each related individual property vector encodes the semantic description of its respective reference data file;
(c) a communications network;
(d) a network-connected user device coupled to the communications network;
(e) processing intelligence arranged: in response to the trained ANN receiving target data as an input and for which target data an assessment of relative semantic similarity of its content is to be made, and the ANN producing a file vector (Vpiie) in property space for the target data based on processing within the trained ANN of file properties extracted from the target data; to access the database; to compare the file vector of the target data with individual property vectors of the multiplicity of reference data files in the database to produce an ordered list which identifies relevant reference data files that have property vectors measurably similar to the property vector and thus to
identify relevant reference files that are semantically similar to the target data; and to send, over the communications network, relevant reference files to the user device; wherein the user device is arranged to receive the relevant reference files and to output the content thereof.
(弊所仮訳)
請求項1
意味的に関連するファイルの推薦を提供するシステムであって、前記システムは、
(a) 特性空間における特性ベクトルを生成可能な出力を有する人工ニューラルネットワーク(ANN)を備え、前記ANNは、コンテンツモダリティを共有する訓練データファイルの複数の対を前記ANNに入力することにより訓練され、訓練データファイルの各対に対して、2つの独立して導出された分離距離、すなわち、第1の独立して導出された分離距離および第2の独立して導出された分離距離が存在し、前記第1の独立して導出された分離距離は、意味的埋め込み空間における第1の訓練データファイルの第1の対の間の相対距離の尺度を表し、前記第1の独立して導出された分離距離は、前記訓練データファイルの前記第1の対の各々に関連付けられたデータの性質に関する意味的記述の自然言語処理(NLP)から得られ、かつ前記第2の独立して導出された分離距離は、特性埋め込み空間における訓練データファイルの前記第1の対の間の相対距離の類似度の尺度を表し、前記第2の独立して導出された分離は、訓練データファイルの前記第1の対の各々から抽出された測定可能な特性から導出された特性距離であり、バックプロパゲーション処理によるANNの訓練は、前記複数の対の処理によってANNの出力で生成された出力ベクトルを使用して重み係数を調整し、特性埋め込み空間における生成された出力ベクトルの距離を意味空間における対応する対ごとの意味的距離に収束させるように、訓練中にANNを適応させ、かつ共有コンテンツモダリティは、(i)ビデオデータファイル、または(ii)オーディオデータファイル、または(iii)静止画像ファイル、または(iv)テキストファイルであり、前記システムはさらに、
(b) 対象データに係るコンテンツモダリティを有する複数の参照データファイルが格納され、各参照データファイルと関連する個々の特性ベクトルとの間の関連付けが格納されたデータベースをさらに備え、各関連する個々の特性ベクトルは、訓練済みANN内で、それぞれの参照データファイルから抽出されたファイル特性を処理することによって得られ、各関連する個々の特性ベクトルは、それぞれの参照データファイルの意味的記述を符号化し、前記システムはさらに、
(c) 通信ネットワークと、
(d) 前記通信ネットワークに接続されたネットワーク接続されたユーザデバイスと、
(e) 前記訓練済みANNが対象データを入力として受け取ることに応答して、その対象データについてその内容の相対的な意味的類似性を評価する処理インテリジェンスとをさらに備え、前記ANNは、前記対象データから抽出されたファイル特性の、前記訓練されたANN内の処理に基づいて、前記対象データの特性空間におけるファイルベクトル(Vpiie)を生成し、前記データベースにアクセスし、前記対象データの前記ファイルベクトルを、前記データベース内の複数の参照データファイルの個々の特性ベクトルと比較し、特性ベクトルが対象ベクトルと測定可能なほど類似する関連参照データファイルを識別する順序付きリストを作成し、それによって対象データと意味的に類似する関連参照ファイルを識別し、通信ネットワークを介して関連参照ファイルをユーザデバイスに送信し、ユーザデバイスは、関連参照ファイルを受信し、その内容を出力するように構成される。
[ii] Pozzoliのアプローチは英国特許法における進歩性判断の枠組みであり、以下の4段階で進歩性を判断します:
(1)当業者とその一般的知識を特定
・想定される「当業者」を特定
・その者の「共通一般知識」を特定
(2)発明の核心(inventive concept)を特定
・クレームの本質的な技術的アイデアを把握
・必要ならクレーム解釈を行う
(3)先行技術との差異を特定
・先行技術(prior art)と発明の違いを明確化
(4)その差異が自明かを判断
・発明を知らない前提で
・当業者にとってその差異は
・単なる自明な改良か?
・それとも発明的ステップか?
[担当]深見特許事務所 堀井 豊
[情報元]
1.“Artificial neural networks are programs for a computer: UK Supreme Court revisits boundaries of AI patentability” D Young & Co Patent Newsletter No.111 February 2026”
(https://www.dyoung.com/en/knowledgebank/articles/artificial-neural-networks-ai-patentability)
2.“An End to Aerotel: Emotional Perception at the UK Supreme Court” Hoffmann Eitle Quarterly March 2026
(https://www.hoffmanneitle.com/news/quarterly/he-quarterly-2026-03.pdf#page=5)
3.本件英国最高裁判所判決(原文)
(https://supremecourt.uk/uploads/uksc_2024_0131_judgment_1da6c10a83.pdf)

