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当業者に誤りであることが明白な先行技術文献に記載の情報は、 主題が開示されているとは言えないと判断したCAFC判決

 米国連邦巡回控訴裁判所(CAFC)は、当業者に誤りであることが明白な先行技術文献に記載の情報は、発明の新規性、非自明性判断に際して主題が開示されているとは言えないと判断した、特許審判部(PTAB)の決定を支持する判決を下しました。
 LG Electronics Inc. v. ImmerVision, Inc., Case Nos. 21-2037; -2038 (Fed. Cir. Jul. 11, 2022)

I.事件の背景
 1.本件特許の概要
 ImmerVision, Inc.(以下「ImmerVision社」)が所有する米国特許第6,844,990号(以下「本件特許」)は、パノラマの撮像によるパノラマ画像のデータ取得(capture)と表示に関するものです。以下、複雑な技術内容を簡略化して、本件特許発明の概要を説明します。
 パノラマ式(例えば、超広角)対物レンズは、通常、線形分布機能を持っています。これは、画像の中心からの画像点の距離と、画像の中心に対する視野角との間に線形関係があることを意味します。この直線性により、撮像に使用されるイメージセンサの画素密度が均一であれば、パノラマ画像は全体として解像度が均一であることから、特定の領域の解像度を向上するためには、その領域に対応するイメージセンサの画素密度を高くすることが必要になります。それに対して本件特許発明は、イメージセンサーの単位面積あたりの画素数を増やすことを必要とすることなく、デジタルパノラマ画像の特定のセクターの解像度を向上させることを目的とする技術を提供するものです。
 具体的には、本件特許の明細書は、パノラマの特定のゾーンを拡張し、他のゾーンを縮小する非線形分布機能を備えた対物レンズを使用して、パノラマを撮像し、初期デジタル画像(以下「初期画像」と記します)を取得することを開示しています。取得された初期画像は、その非線形性を逆関数を用いて修正して、表示用の最終的なパノラマ画像が生成されます。拡大された初期画像のゾーンは、線形の分布を持つ対物レンズを用いた場合の同じゾーンよりもイメージセンサーの画素数が多くなり、その結果として、当該ゾーンの修正後の画像において画素密度が高くなり、解像度を向上させることができます。
 なお実際には、本件特許のクレームのうち、従属クレーム5および21の2つが、本件訴訟の対象となっていますが、以下、クレーム5のみに絞って説明します。
 本件特許について、先行文献に基づく非自明性が問題になっている従属クレーム5は、レンズが「画像の中心と画像の縮小し、画像の中心と端の間にある画像の中間ゾーン拡大する」ことを特徴としています。なお、本件特許の当該クレーム5が従属するクレーム1は、パノラマ対物レンズ非線形の画像点分布機能を有し、得られる初期画像は、少なくとも1つの実質的に拡大されたゾーンおよび少なくとも1つの実質的に縮小されたゾーンを有するという、拡大、縮小するゾーンの位置を特定することなく、線形分布からの最大逸脱量(maximum divergence)の範囲のみを限定するという、広い概念を特定しており、査定系再審査においてすでに特許が取消されていました。
 本件特許のクレーム1および5の英語原文とその試訳を、「参考資料1」として添付しています。また、本件特許の図4A,4B、図7A,7B、および図9を、「参考資料2」として添付します。図4Bは、オブジェクトポイントの視野角(対物レンズの光軸と、オブジェクトポイントを通る光線とがなす角度)αと、初期画像のオブジェクトポイントに対応する画像ポイントの、初期画像の中心からの距離drとの線形関係のグラフを示しています。図4Aは、図4Bのグラフを初期画像上の等高線で示しており、視野角αの10°, 20°, 30°…80°, 90°の点が、それぞれ円C10, C20, C30, …C80, C90に対応します。図7A,7Bは、本件特許の第1実施例の、それぞれ図4A,図4Bに対応する等高線とグラフを示しており、この実施例の対物レンズによれば、画像の中心と画像の拡大し、画像の中心と端の間にある画像の中間ゾーン縮小しています。図9は、本件特許の第3実施例の、図4B,図7Bに対応するグラフを示しており、このグラフから、第3実施例の対物レンズは、第1実施例とは逆に、l画像の中心と画像の端を縮小し、画像の中心と端の間にある画像の中間ゾーンを拡大する、非線形の画像ポイント分布機能を有することが分かります。
 既に特許が取り消されているクレーム1は、第1および第3実施例の両者を包含しますが、本件訴訟の対象であるクレーム5は、第3実施例のみを包含します。

 2.当事者系レビュー(inter partes review: IPR)
(1)LG Electronics Inc.(以下「LG社」と記します)の主張
 2019年11月、LG社は本件特許の従属クレーム5について米国特許庁特許審判部(以下「PTAB」と記します)にIPRを請求しました。LG社の主張の基本は、クレーム5に係る発明が「非球面レンズを使用した超広角レンズシステム」を対象とした米国特許第5,861,999号(以下「Tada引例」と記します)により自明であるという点です。
 Tada引例は、一般的なシステム構造を共有しレンズの厚さや形状などの側面が異なる、4つの実施例について記載しています。特に、本事件で本件特許発明と関連するとされている実施例3は、レンズ系の構成を示す図11、表5に示される光学パラメータの具体的数値データによって説明されています。
 Tada引例は、特開平10-115778号公報として公開された日本特許出願(以下「日本基礎出願」と記します)を優先権主張の基礎としています。Tada引例の表3および表5と、日本基礎出願の表5の一部を、「参考資料3」として添付します。
 LG社は、IPRの対象となっている本件特許のクレーム5の記載と同様に、Tada引例が、画像の中心と端縮小し、画像の中心と端の間の中間ゾーン拡大する、非線形の画像点分布を持つパノラマ対物レンズを開示していると主張しました。ただし、Tada引例は、レンズの画像点の分布機能について明確に記載していません。そのためLG社は、Tada引例の実施例3が「画像の縮小された中心と端、および画像の中心と端の間の画像の拡大された中間ゾーン」を生成する分布機能を有するという主張について、専門家であるChipman博士に検証を依頼し、検証結果としてのChipman博士の供述に依拠しました。
 Chipman博士は、公開されたTada引例の表5からの特定の情報を光学設計プログラムに入力することにより、Tada引例の図11に示す実施例3のレンズを再構築しました。次にChipman博士は、6つの波長でレンズシステムの画像点分布をプロットし、それらのいずれにおいても画像点分布が線形ではないことを証言しました。より具体的には、Chipman博士は、Tada引例のレンズシステムの実施例3は、「画像の中心と画像の縮小し、画像の中心と端の間に位置する画像の中間ゾーン拡大する」と説明しました。LG社は、Tada引例の表5のデータを使用したChipman博士の計算とプロットのみに依拠して、Tada引例の実施例3がIPR対象のクレームの縮小および拡張ゾーンの限定を満たしていると主張しました。
(2)ImmerVision社の主張
 IPRにおいて、もう一方の当事者である、本件特許の所有者であるImmerVision社は、別の専門家であるAikens氏の供述に基づいて、Tada引例の表5には、一見して明らかな誤りが含まれているため、本件特許発明が自明であることの根拠にはなり得ないと主張しました。Aikens氏の供述は、以下の検証の結果に基づくものです。
 (i)Aikens氏は、Chipman博士のプロセスに従い、同じ光学設計プログラムを使用して、非球面係数(非球面レンズの表面形状を定義する値)を含む数値データからレンズモデルを作成することから始め、Tada引例の表5に基づくレンズモデルの表面構造と、Tada引例の図11に示されているレンズとが、同じ実施例であるにもかかわらず一致しないことに気づきました。
 (ii)またAikens氏は、彼のレンズモデルを用いて生成された、レンズモデルの種々の数値データを、Tada引例の実施例3についての数値データと比較し、それらも一致しないことを見つけました。
 (iii)さらにAkens氏は、彼のレンズモデルで生成されたレンズモデルの像面を見直して誤差の大きさを評価し、出力画像に、Tada引例がまさに防止しようとしていた歪が生じることを発見しました。
 (iv)次に、Aikens氏は、Tada引例の実施例2に対応する表3の非球面係数の数値データが、実施例3に対応する表5と全く同じであることに気づき、さらに、Tada引例の優先権の基礎となる日本出願をレビューし、その表5の非球面係数(Tada引例の表5と同じレンズの実施例に対応)の数値データが、Tada引例の表5の非球面係数の数値データとは異なることを確認しました。本記事に「参考資料3」として添付している、Tada引例の表3および表5と、日本出願の表5の一部(非球面データを表示する部分)の写しの、特に太い赤枠で囲んだ非球面レンズのデータをご参照ください。
 Aikens氏は、これらの状況を踏まえて、優先権の基礎となる日本出願の非球面係数は正しく、Tada引例に転記する際に誤りが生じたものであって、当業者はTada引例の実施例3のレンズモデルに重大な誤りがあること確信するであろうとの見解を示しました。
 PTABは、最終的な書面による決定において、「Tada引例の表5における非球面係数の開示は、当業者が気付いて修正したであろう明らかな誤りであり、日本出願の表5の正しい非球面係数に修正した場合に、当該正しいデータがクレーム5の文言を満たさないため、LG社はクレーム5に係る発明が自明であること証明する責任を果たしていない」と結論付けました。
 このPTABの決定に対してLG社は、CAFCに控訴しました。

II.本事件に関するCAFCの判断
1.判断の前提事項
 発明の自明性は、事実認定に基づく法律問題であることから、CAFCは、相当な証拠を得るために、先行文献に明らかな誤記またはそれと同類の誤りが含まれているかどうかを含め、PTABの最終的な自明性の決定および基礎となる事実認定を検討しました。
 事実認定に際してCAFCは、PTABの判断について、次の事項を認めました。
 (i)Tada引例の表5の非球面係数が誤りであったことは議論の余地がないこと。
 (ii)Tada引例の優先権の基礎となる日本出願からの正しい非球面データを使用してレンズが構築された場合、レンズがクレーム5の縮小および拡大ゾーンの限定を満たさないことに異論はないこと。
 (ii)残る主要な問題は、Tada引例の誤記が、誤りであることが当業者にとって明らかであり、その結果当業者がその開示を無視したり、その誤りを訂正して解釈したりするであろうというPTABの事実認定を実質的な証拠が裏付けているかどうかであること。

2.法的基準としてのYale判決について
 CAFCはまず、法的基準として、CAFCの全身である関税特許控訴裁判所(Court of Customs and Patent Appeals:以下”CCPA”と記します)が1970年に出したYale事件判決を挙げています。この判決では、吸入麻酔薬の特定の化合物であるCF3CF2CHClBr(下線はCF3CHClBrとの区別を明確にするための単なる強調です)に向けられた特定のクレームが自明であるとの拒絶を認めて、特許審判部の決定を覆しました。自明性の拒絶は、数年前に出版された記事におけるこの化合物の誤った開示に基づいていました。その記事には、CF3CF2CHClBrが、他の吸入麻酔化合物とともにグラフにプロットされた9つの化合物の1つとして含まれており、これは、当該先行文献内のCF3CF2CHClBrの唯一の記載でした。CF3CF2CHClBrとは異なる化合物であるCF3CHClBrは、この記事の他の部分の至る所に登場します。当時、CF3CF2CHClBrは既知の化合物ではありませんでした。さらに、CF3CF2CHClBrとCF3CHClBrとが異なる化合物であって、特性値も異なるはずであるにもかかわらず、同じ化学的特性値を示しています。
 これらの事実からCCPAは、先行文献のCF3CF2CHClBrとの記載がCF3CHClBrの誤記であることは明らかであり、読者が当然にCF3CHClBrであると推定して読むものと認定し、その誤記に基づく自明性の拒絶を覆しました。
 このYale判決においてCCPAは、先行文献が、当業者が頭の中で誤記を誤った情報として無視するか、頭の中で正しい情報に置き換えるような、明らかな誤り(obvious error)を含んでいれば、そのような誤った情報は主題を開示しているとは言えないとの判断を示しました。

3.IPRにおける当事者の主張およびPTABの最終決定についての、CAFCの判断
 控訴審においてCAFCは、IPRにおけるImmerVision社の主張と、それに基づくPTABの事実認定とを、ほぼ全面的に肯定し、PTABの最終決定を支持しました。

4.LG社による控訴審での追加の主張とそれに対するCAFCの見解
 (1)LG社による追加の主張
 控訴審においてLG社は次のような2つの追加の主張を行ないました。
 (i)第1にLG社は、文献の誤りが当業者にとって「明白である」と見なされる前提として、Yale判決は、誤りを当業者が頭の中で即時に無視するか、正しく修正する必要があるとしているのに対して、Tada引例の誤りの検証にAikens氏が10時間から12時間もかかる複雑なプロセスを要し、また、Tada引例が公開されてから20年以上修正されていないことから、当業者はTada引例の表5の非球面係数のデータを正しいものと信頼できたはずであり、Yale判決の基準に基づく明らかな誤りであるとは言えないと主張しました。
 (ii)第2にLG社は、Yale判決の「明らかな誤り」が誤植の場合に限定されるべきであり、そうでなければ、すべての人が自由に利用可能な公知技術の独占を認めることになり、特許制度を不安定にするであろうと主張しました。
 (2)CAFCの判断
 LG社の上記第1の追加の主張に対してCAFCは、「Yale判決の基準によれば、当業者が明らかな誤りを直ちに認識する必要がある」というLG社の主張は誤りであって、PTABが正しく指摘したように、Tada引例の誤りの発見に要した実際の時間の長さと発見の状況は、Yale判決の基準に基づいて、Tada引例に明らかな誤りがあると判断することを妨げるものではないという趣旨の見解を示しました。
 また上記第2の追加の主張に対してCAFCは、Tada引例の誤りは、転記の際のコピー・アンド・ペーストの手違いであって、「明らかな誤記」であるかどうかの判断基準として、Yale判決における誤植と区別されるほどの相違はない判断しました。

5.結論
 両当事者のその他の主張を検討した結果、いずれも説得力がないと判断し、CAFCは、上記理由によって、PTABの最終的な決定を支持する判決を下しました。

III. Newman判事の反対意見の概要
 本件訴訟を担当したCAFCの3人の裁判官の一人であるNewman判事は、本件判決(多数意見)に関して、Yale事件判決が正しい基準を示していることには同意したものの、本件についてYale事件判決を適用したことについては、次の理由による反対意見を述べています。
 (1)「誤植やそれと同類の誤り」と言えるのは、誤りであることが表面上で読者に明らかであり、その情報の内容を読者が無視することが適切である場合であって、実験や調査による検証によって初めて誤りと認識できる場合を含むべきではない。
 (2)誤りかどうかの判断に外国語の文献の検索結果まで参照することを要する場合には、「誤植やそれと同類の誤り」とは言えない。

VI. コメント
 (1)先行文献の開示に基づく特許性判断に際して、「先行技術の開示が明らかな誤まりである場合には、その誤った情報は、発明の特許性判断のための主題を開示しているとは言えない」とするYale判決を基準とすべきことは、本件判決の多数意見、反対意見のいずれもが肯定していることから、確立した判例として適用可能と思われます。
 よって、たとえば審査官による先行文献に基づく特許性欠如の拒絶に際して、先行文献の開示の明らかな誤りを含むことが確認されれば、Yale判決の基準を適用して反論することが、有効な対処となり得ます。
 (2)しかしながら、本件とYale判決との「明らかな誤り」の判断に際しての状況は大きく相違しており、CAFCの3人の判事のうちの一人が反対意見を述べていることからも、先行文献の開示に基づく発明の特許性判断に際して、本事件にYale判決の判断基準を適用した本件判決の判旨(多数意見)を適用すべきかどうかは、ケースバイケースで検討の余地があるものと思われます。
 言い換えれば、実務上、誤った開示を含む先行文献に基づく特許性が問題となる場合において、特許性を肯定する立場では、本件判決の判旨(多数意見)を重視し、特許性を否定する立場では、反対意見の主張内容を参考にして、先行文献の開示が、Yale判決で言う「明らかな誤り」とまでは言えないことを主張することが考えられます。
 (3)本件判決(多数意見)の妥当性の理由として、下記の「情報元1」では、本件における「明らかな(obvious)誤記」と同じobviousという用語を使用している特許法103条に”Patentability shall not be negated by the manner in which the invention was made.”という記載が含まれることを挙げています。発明が”obvious”かどうかの判断には、発明がなされた態様(複雑さ)などは影響しないという考え方が103条の重要な制定趣旨の一つであることから、特許法解釈の整合性という面から、CAFCの多数意見を支持する考え方であり、注目すべき見解であると言えます。

[情報元]
1.WHDA NEWSLETTER July 2022 “LG Electronics Inc. v. Immervision, Inc. (IPRにおける引例の利用法)” By: Michael Caridi 編集責任者 中村剛 (パートナー弁護士)
2.IP UPDATE (McDermott Will & Emery) “Clearly, the Disclosure Was an Error” (July 21, 2022)
3.LG Electronics Inc. v. ImmerVision, Inc., Case Nos. 21-2037; -2038 (Fed. Cir. Jul. 11, 2022)判決原文

[担当]深見特許事務所 野田 久登

 添付書面:
 参考資料1:本件特許クレーム1,5原文およびその日本語試訳
 参考資料2:本件特許の図4A,4B,7A,7B,9
 参考資料3:Tada引例の表3,5およびTada引例の日本基礎出願の表5の一部