知財論趣

ダンバー数と組織

筆者:弁理士 石井 正

社会的認知規模
 オックスフォード大学の進化心理学を専門とするロビン・ダンバー教授(Pro. Robin Dunbar)は、人間が社会生活を営むうえでおよそ自然にかつ安定的に維持できる規模は150名程度であると言います。そこからダンバー数という安定組織上限数が提案されています。このダンバー数は厳密に言えば「共同体、組織体内において、その構成員がそれぞれと安定した関係を維持できる個体数の認知的上限」となるのですが、その意味は人々が集団あるいは組織を構成している時に、お互いが相互にしっかりと相手を認識して理解した結果、安定した関係を築き上げることができる規模の上限、ということとなります。
 
霊長類の進化
 ダンバー教授は類人猿からヒトへの進化の過程における集団の規模の変化を検討していくなかで,この150人という規模が明らかになったと言いいます。ちなみに現生人類は共同体規模はまさに150人程度なのですが、ホモ・ハイデルベルゲンシスは120人程度、さらに古いホモ・エレクトスの場合は100人程度と推定しています。鳥や昆虫の場合、しばしば巨大な集団を作ることがありますが、それは本能にしたがった集団であって相互が理解した上での集団ではありません。それに対して霊長類の場合、自然のなかのチンパンジーもそうですが相互に認識した上で集団を作ります。
 この場合の相互の認識とは、相手が誰であるかをしっかりと認識することであり、誰の子なのか、その兄弟は誰か、その性格はどうか、力は強いのか、群れのなかの序列はどの程度の位置なのか、誰と親しいのか等々あらゆることを含めて相手を理解し認識することを意味しています。ただチンパンジーや猿の場合には、相互認識の重要な手段としては毛づくろいがその方法となります。毛づくろいをしながら、相互に親しくなり、序列を確認し、性格まで理解することができるのです。ただ毛づくろいは時間もかかるし、その理解できる範囲も限られます。だから毛づくろいにより可能となる社会認知規模はせいぜい20頭から50頭という規模でしょう。ところがヒトになり、言葉を得て会話ができるようになるとその規模は大きくなります。それがダンバー数なのです。

さまざまな実例
 興味深いことはダンバー教授は,この150人という共同体の規模上限を歴史を遡りさまざまな事例で確認していったことです。中東の新石器時代の村落規模は150家族から200家族程度であったし、18世紀英国村落の規模がやはり160家族程度であったようです。また英国国教会の信心会の推奨規模が200人程度であったと言います。さらに身近な例では、クリスマス・カードの送付先リストの平均が154人というデータもあるらしいのです。はたしてどこまで理論的な根拠があるものか戸惑う部分もあるのですが、経験的にはこのダンバー数には納得できるところがあります。筆者の年賀状の印刷枚数はいつも150枚程度であるし、親戚から親しい友人,いつも仕事等でお世話になっている方々の一覧表を作ると150名から200名程度になるのです。

中隊の規模、村の規模、海賊の規模
 陸軍における歩兵中隊は、中隊長が声を出して指揮する戦闘の基本単位です。その規模は明治23年の陸軍定員令によれば136名でした。英語はCompanyと言い、まさに一つのまとまった集団というイメージがあります。日本の昔の村落の規模もやはり100世帯から150世帯程度のもので、150世帯を超すことはほとんどありません。仮に村落の規模が大きくなってくると「村立て」と言って分村するのが慣行でした。あまり村の規模が大きくなりすぎると、村のなかでのコミュニケーションがうまく行かなくなり、不満が内在し、的確な意思決定ができなくなるためのようで、まさにダンバー数の意味するところなのです。なにしろ江戸時代における村は年貢について村全体が共同責任を負っていたのですから、納得できるまでコミュニケーションが行われる必要があったのです。
 興味深い事例としては、海賊船のメンバーの規模があります。海賊船の場合、乗組員全員が命を賭けて襲撃しなければなりません。一人として無駄なメンバーは許容されないのです。襲撃の結果の収穫は全員で公平に分配されますから、無駄なメンバーがいればそれだけ分配は少なくなります。しかし規模も重要で、ある程度の規模のメンバーでなければ襲撃も成功しないわけです。実際の海賊船の規模はどうであったのでしょうか。1716年−1726年のカリブ海における海賊船37隻の平均メンバー数は80名で最大が200名でした。

近代社会組織
 ダンバー教授によれば、ゴア・テックス社はこうしたダンバー数を参考として工場ユニットの規模を150名にとどめているようで、広い敷地のなかに工場を作る場合でも、その規模は制限し各工場の人員はダンバー数の規模を超えないようにしているのだそうです。格別な組織管理のための工夫も必要なく、自然にまとまることのできる規模の範囲に留めておくという考えなのでしょう。しかし近代組織においては、ダンバー数の規模にとどめることは実際には不可能に近いでしょう。会社組織等において千人、あるいは一万人を超えるような大組織になることはしばしばです。そうした場合には、構成員相互の自然な相互認知による安定なコミュニケーションというわけには行きません。その場合には組織全体の目標を言語によって明確にしておき、さらにルールを決め、それぞれの内部組織の役割を決めておくことが求められます。それらはすべて文書において取り決められ、組織の構成員が理解し行動できるようにしておくことが必要となります。しかも各下部組織の長が相互に情報交換をしていわゆる相互認知をしておくことが求められることでしょう。