知財論趣

少数精鋭型開発

筆者:弁理士 石井 正

シアトル航空博物館
 随分昔のことですが、米国シアトルにあるワシントン大学ロースクールで講義をする機会がありました。折角の機会でもあり、念願であったシアトル郊外にある航空博物館を見学しました。念願であった理由の一つが、超音速、超高空で偵察活動を行う戦略偵察機SR-71の実機を見たいということで、事前の調査でこの飛行機の実機が博物館に展示されていることはわかっていました。さてこのSR-71ですが、偵察機の歴史の中でも偉大で異色、まことに優れた性能を有する航空機なのです。なにしろ2万5000メートルの超高空を音速の3倍で飛行することができる偵察機です。機体はチタン合金で覆われダブルデルタ翼で、しかもブレンデッド・ウイング・ボディーのまことに美しくも恐ろしい形態を有する航空機です。一度この目で確認してみたい、可能であればコックピットも見てみたいというのが願望でした。博物館ではそうした願望は全て実現され、美しいデザインと想像を超す技術的水準に改めて感動しました。

ケリー・ジョンソンとスカンク・ワークス
 このSR-71を開発したのが、ケリー・ジョンソンと彼のチーム スカンク・ワークスでした。ケリー・ジョンソンは1932年にミシガン大学を卒業後、ロッキード社に入り航空機技術者となったのですが、文字通りの天才技術者でした。その才能が原因で、ジョンソンは会社組織と軍の官僚主義とはいつも衝突していたようです。しかし業績は素晴らしく、米国初の実用ジェット戦闘機の開発に成功し、さらに戦後超高空偵察機U-2の開発にも成功します。そうした実績の上で、彼は少数精鋭のチームであるスカンク・ワークスとともにSR-71の開発に挑戦したのです。1960年前後の頃でした。当時の航空機技術の水準を考えてみると、その設計速度は想像を超えるものでした。時速3500キロメートルです。音速は標準大気中で時速1225キロメートルですから、音速のおよそ3倍となります。厳密には3倍ではないと批判されるかもしれませんが、音速は温度で変わり、温度が上昇すると音速も早くなり逆に温度が低下すると音速も下がります。飛行高度の超高空での極低温度を考えてみれば、十分に音速の3倍と言えるのです。この早さで飛行すると航空機の表面はひどい高温となり、そのためにチタン合金としたのですが、それでも高温による熱膨張は避けられず、この膨張を前提とした設計と機体製作が困難を極めたのでした。ケリー・ジョンソンはこの極めて複雑困難な開発と設計を彼の信頼する少数精鋭技術者集団のスカンク・ワークスとともに遂行するのです。彼は大規模な開発設計チームは、大規模であること自体によって失敗する要因を抱えるだけだと考えていました。ケリー・ジョンソンの設計思想が開発チーム全員に伝わらない、理解されないと考えていました。技術者の数が多くなるとそれだけで水準が下がるとまで思い込んでいました。だから少数精鋭がはるかに良いと決めていましたから、スカンク・ワークスには彼が選んだ精鋭の技術者だけが参加できたのです。技術者の数を制限し、まさに少数精鋭で挑戦し成功したのです。

KISSの原則
 天才技術者ケリー・ジョンソンは常にKISSの原則を周りに話していたそうです。彼が言うKISSの原則とは、“Keep it simple、stupid.” あるいはもう少し分かり易く“Keep it short and simple.” というものです。前者の場合ですと、「単純にして独創的に」という意味であるでしょうし、後者の場合は、「早くそして単純に」という意味となるでしょう。いずれにしても彼は、才能ある技術者は事柄を複雑にしないで単純にしなければならないといつも考え、それは少数精鋭のチームによってのみ達成できると信じていたようです。あの天才レオナルド・ダ・ヴィンチも「単純であることは究極の洗練である」と言っていますから、ケリー・ジョンソンのKISSの原則もそこに通じるのでしょう。
 近年は技術開発が複雑にして大規模化しているようですが、時にはこうした少数精鋭型の開発の思想と理念について考えてみることも必要なことではないでしょうか。