知財論趣

法と社会文化

筆者:弁理士 石井 正

少ない特許訴訟件数
 外国の知的財産の専門家、なかでも弁護士や大学教員等の法律に詳しい専門家と話をしているときにしばしば話題になるのが、日本の特許訴訟件数の少なさです。特許出願は30万件を超し、企業の知的財産部門の人材レベルは国際的にみても非常に高いし、もちろん弁理士の専門家としての水準は諸外国と比較してトップレベルであることは誰しも認めます。きちんとした法体系が用意されてあって、専門家は揃っていて、特許出願は活発であって、しかもその特許権を企業経営に戦略的に活用しようとしながら、他方、特許の訴訟事件数は米国の10分の1以下の少なさなのです。弁理士に対して、特定の条件のもと訴訟代理の権限を付与する制度が導入されたのですが、実際の訴訟事件の規模を考えれば、それがどこまで実質的な意味を持つものか考えざるを得ません。

訴訟回避文化
 企業の知的財産部門に長く勤務する専門家は、日本企業では訴訟はできるだけ避けると言います。訴訟に関わって企業によいことはまずない、だから訴訟にならないように慎重に検討するし、話し合いで解決できるのであればその道を全力で探ると言うのです。職務発明制度について日本企業の多くは、その抜本解決を求め、制度改正の必要性を主張されてきましたが、その背景には訴訟を嫌い、話し合い解決を求める日本企業の独特の性向があるようです。職務発明をした従業員がその報償金について不満があった場合に、話し合いではなしに提訴して、会社がそうした訴訟事件の被告とされるのは到底受け入れがたいのです。訴訟を嫌う、争いを法に基づいて司法の場で解決することを嫌うという性向は何も企業に限らないようです。貸し借りの争いや家庭内での争いでも裁判で決着をつけるということはまだまだ少ないのです。離婚訴訟は米国では山ほどあるが、日本ではそれと比べれば本当に少ないと言ってよいでしょう。これはどうも歴史的・文化的な背景があるとみてよいのではないでしょうか。

江戸時代の場合
 江戸時代には民事事件は出入筋と称し、この裁判を公事と称しました。この公事はさらに土地の争いなどの本公事と、金銭貸借や金利等の争いに関わる金公事、そして共同事業や無尽等に関わる仲間事などがありました。公事と称するのだから訴訟手続き等の一応の仕組みはあったのですが、商人たちが金公事を申し立てると、そもそもほとんど受理されることはなかったのでした。判断する側からすると、商人の金に関わる争い等に関わることは、武士の沽券に及ぶという気持ちがあったのかもしれません。他方、商人たちの間では金銭に関わる争いや仲間事は、そもそも仲間の間で問題解決をするべきでそうした争いを公事としてもちだすこと自体が適切ではない、あるいは不届きであるという理解があったのです。そうした歴史文化的背景があるだけに、日本では法に基づき裁判で決着ということは定着しにくいのではないでしょうか。

ドイツの歴史経験
 先日、歴史法学の専門家とこの話をしたら、社会と法制度がきちんとつながっていると思われるドイツにおいても、近世には似たようなことが多くあったと言うのです。ローマの時代に確立したいわゆるローマ法体系は、15世紀ヨーロッパの各地に作られた大学を通して各国に広がっていきました。大学で育成されたローマ法学者がドイツにおいても司法分野のさまざまな専門家として活躍していくことになるのですが、問題はドイツ各地に昔からある慣習法、すなわちゲルマン法との調整でした。ドイツにおいては、それまでは慣習法に基づき話し合って解決していたのですが、ローマ法の専門法学者は難しい理屈で問題をおおごとにする、彼らが関わると争いが常に大きくなる、だからいつもローマ法の法律家は諍い屋(Juristae sunt jurgistae)と非難されたのです。この時代を超えて、ドイツは法によって規律される社会、司法に問題の解決を依存する社会として確立していったのです。