知財論趣

日本技術の風土と文化 (2)

筆者:弁理士 石井 正

外国人の見た日本人
 江戸時代あるいは明治に入った頃に日本に来た外国人は、平和で教育的そして豊かな日本人を驚きの目で見ていた。 
 あの開国を迫ったペリーは「日本遠征記」に「読み書きが普及していて、見聞を得ることに熱心である」と言い、「実際的および機械的技術において日本人は非常な巧緻を示している。日本がひとたび文明世界の過去・現在の技能を有したなら、強力なライバルとして機械工業の成功を目指す競争者の一人になるであろう」と書いている。 
 イエズス会の巡察使ヴァリニャーノは戦国の時代に日本に来ているが、彼は「日本巡察記」に「国民は有能で、秀でた理解力を持ち、子どもたちはわれらの学問や規律をよく学び取り、ヨーロッパの子どもたちよりもはるかに容易に、短期間に、われらの言葉で読み書きすることを覚える」と記録している。 
 明治の頃、日本で長く教育に関わったラフカディオ・ハーンは次のように言う。「日本の生活にも、短所もあれば、愚劣さもある。悪もあれば、残酷さもある。だが、よく見ていけばいくほど、その並外れた善良さ、奇跡的とも思えるほどの辛抱強さ、いつも変わることのない慇懃さ、素朴な心、相手をすぐに思いやる察しのよさに、目を見張るばかりだ」。

日本を旅行して発見する
 日本に来た外国人は旅行をする。当時のヨーロッパで旅というのはほとんど危険と隣り合わせのリスクの高いものであった。ところが日本では異なっていた。江戸時代、出島にいた医師のケンペルは次のように記録している。 
 「徒歩の旅行者や身分の低い人たちは、わずかな銭を払って、上等ではないが温かい軽い食事をとり茶や酒をのむことができる。こういう小さな料理屋や茶店は、苦労して暮らしを立てなければならない貧しい人たちがやっているので、これらの店は貧弱で粗末ではあるが、それでも通り過ぎる旅人をいつも惹きつけるに足るものである」。 
 外国人の目に映った日本人は、貧しくとも明るく、文化的であり、素朴、親切であった。そのよさは、幾分かは現代にも残っていると思いたい。

丁寧に改良していく職人文化
 日本技術の改良への努力とその積み上げは、江戸時代以来の農業における改善努力が背景にあると思われる。江戸時代に日本の農業は機械や動力を使用する方向から、ただひたすら人力により、勤勉によって生産性を高める方向をとってきた。もちろんただの勤勉だけではない。品種改良などにより、また道具は少しずつ使いやすいように改良し、適地適作で付加価値の高いものを耕作していった。   
 しかも職人による質の高いものづくりの文化が江戸時代に定着していった。職人によって作られた有明紬、印伝、和紙、切子、墨、挽物、象眼等々。これらを江戸の商人達が競って手に入れようとした。村には勤勉革命により生産性の高い農業が、町には職人による高品質のものづくりが盛んになっていった。 
 日本技術は明治になって大きく変貌したが、やはりその基本の部分は江戸時代以来の手を掛けた農業、丁寧な職人の手仕事の伝統が生きているのではないだろうか。

GNC(グロス・ナショナル・クール)
 日本の古い文化、現代文化全体としてのクールな点を評価して、ダグラス・マッグレイは「フォーリン・ポリシー」の2002年5・6月号でグロス・ナショナル・クール(GNC)で日本を評価しなければならないと言う。日本のそれは世界トップであると主張する。それを読むと、冗談かと思うのであるが、国際社会ではクールな文化が結局は評価され、納得され、説得もできるとされる。 
 日本社会はクールという時、それは文化や食事、アニメなどのコンテンツに限られるのだろうか。むしろ日本社会が伝統的に形成してきたクールな遺伝子は、日本の現代技術に表現され、具体化されているのではないだろうか。 
 超小型の電子部品とそれを使用したデジタル機器は江戸文化に源泉のある小さいものに美を見出す日本的クールの典型である。精密であって高品質のものを尊ぶ価値観も同じであって、江戸小紋や紬の美しさにつながるものがある。 
 アニメや漫画が日本には伝統的に存在し発展してきたことは広く知られている。北斎の漫画を見ているとそれはそのまま現代に生きている錯覚を起こす。これが任天堂などのゲーム機器の技術にそのままつながっているように思われる。 
 回転寿司の技術は、明らかに江戸時代のあの「からくり」に原点がある。茶運びのあのからくりである。日本人はこうした工夫や趣向を喜ぶ。だから工夫もさらに磨かれるというわけである。