知財論趣

特許の告知機能

筆者:弁理士 石井 正

米国における政策立案のルート
 日本においては、各省庁の政策はそれぞれの省庁が自ら検討し、審議会等を通じてその政策内容について専門家の意見を求め、多くの関係者間での実質合意を形成していくのが普通である。ところが米国の場合、やや異なるところがあり、議会が政策を検討していく。ただその場合でも議会自体が政策を白紙から検討するわけではなく、議会からみて適切と思われる機関に調査を委託するのが普通である。 
 特許政策の場合、議会は米国特許商標庁に調査委託するのではない。特許商標庁は特許権や商標権の審査および登録機関として位置づけているようで、その政策についての検討には他の機関を選択する。 
 2011年3月に連邦取引委員会(FTC)が特許政策文書を公表したが、これは2008年に議会が連邦取引委員会に対して米国特許制度改革のための調査を委託し、これを受けて、連邦取引委員会が委員会を立ち上げ、公聴会、2010年5月のワークショップ、ヒアリング等を経て最終的に報告書をしてまとめたものである。

連邦取引委員会による特許政策文書
 この連邦取引委員会(FTC)報告は”Evolving IP Marketplace:Alighing Patent Notice and Remedies with Competition”と題されている。内容は大変に興味深く、今後の米国特許法の改正の方向を考える時、示唆溢れるものがある。ネットでも公開されているので、その序論のところだけでもご一読されることをお勧めする。 
 報告では、現代産業社会はオープン・イノベーションの時代であること、そこに特許が重要な役割を果たすことを指摘する。その通りで、昔ながらの技術開発では、一つの企業のなかで研究から基礎開発、商品開発、設計、生産まですべてを行っていたのに対して、これからは多くの企業や大学がオープンに研究や開発を進めて、その研究や開発の成果物は特許等の知的財産としていく。生み出された新たな技術知識が特許となっていれば、それは適正に取引され、利用されることにより無駄な重複開発などしないで、オープンに技術開発が進められる。特許がなければ新技術知識は秘匿され、またその新技術知識が財産権として認められていなければ、取引がされない。

事前取引と事後取引
 報告では、この取引の実態に踏み込む。実際には特許となった新技術知識の取引は、2種あると指摘する。一つは事前取引(Ex Ante Patent Transaction)であり、もう一つは事後取引(Ex Post Patent Transaction)である。技術開発をする関係者が、他者の特許権の存在を知った時、無駄な開発をやめて他者の特許権の利用を求める取引は妥当・適正なものであり、これを事前取引と称している。これであれば無駄な開発を避けることができ、社会全体として効率的な仕組みとして期待できる。 
 問題は事後取引で、開発の前あるいは開発中に他者の特許権の存在を見出すことができず、開発後に新技術商品を提供する段階になって突然、他者から関係する特許権の存在を指摘され、しかも法外な取引条件を提示されるというパターンである。すでに開発は最終段階にまできているから、いまさら別の技術を選択することは困難であって、法外な取引条件を受け入れざるを得ないこともある。 
 この事後取引は、明らかにイノベーションを阻害するものであり、重複開発によりコストは高くなり、他者に対してのホールド・アップ効果はあまりにも適正さを欠くものであり、競争をゆがめるものであると報告書は指摘する。しばしば話題になるパテント・トロールもまさにこの事後取引という視点でみて、その問題の本質が明らかになる。

特許における告知機能
 なぜ事後取引になるのか。報告では、特許の告知機能が劣化したときに事後取引が発生すると言う。特許の告知機能(この報告ではPatent Noticeという)の劣化とは、過度に広くしかも不明確なクレーム、明細書における発明の記述が曖昧で、実施可能性が不明確な場合、出願が長期に継続していて権利になるか不明確な場合等々を意味している。要するに開発の際に、他者の特許権を確認しても不明確であるために見過ごし、開発後に取引を持ちかけられるというパターンである。 
 情報技術や半導体、機械などの分野では大量の特許権が発生するだけにこの事後取引問題は深刻になる。大量の特許権がいわば事後取引のための地雷のような存在となるからだ。 
 こうした特許の告知機能の劣化を防止し、改良していくためには、特許法自体の改正だけでは済まない。特許審査に関わる特許庁等機関による明細書等に関わる審査基準の確立と運用が求められるし、他方、出願人・代理人による明細書・クレームに関連しての告知機能を劣化させないための努力が求められる。他者にはそれを求めながら、自らは意図的かあるいは意図的ではないにしても、不明確にして不十分な内容の明細書で、しかもクレームは不当に広くて曖昧な内容のもので対処するということは許容されない。