知財論趣

発明・出願・公表の戦略

筆者:弁理士 石井 正

40年前の米国IBM社の場合
 随分、古い話であるが昭和47年に米国IBM社の本社特許契約部長のシップマン氏が来日されて、IBM社における特許管理について講演されたことがあった。IBM社は通常、社内の管理システム等について外部に話すということは稀なことで、それだけに貴重な機会であった。(「企業における特許管理について」J.R.シップマン 特許管理1972年3月号 Vol.22 No.3)
 その講演でシップマン氏は、IBM社の場合、社内に6000件の発明が生まれた場合、そのうち13-14%の725件程度を米国へ特許出願すること、残りのうち全体の25-30%程度はIBM社が発行する技術雑誌に掲載して、自ら公表すること、さらに残りの半数強は社内に技術秘密として管理していくと話されていた。技術雑誌はあの有名なIBM Technical Disclosure Bulletin で、これを世界の特許庁、大学、図書館、研究所に配布することにより、その発明がどこかの企業により特許取得されることを防ぐというわけである。米国へ特許出願する725件はさらにA,B,C,Dと評価して、高い評価のものは外国へ出願するという。
 大事なことは、社内に発明が生まれた場合、さまざまな選択肢があること、IBM社は社内に生まれた発明をきちんと評価し、その評価結果から出願するか、積極公表するかを戦略的に判断していたこと、そのシステムを確立していたことである。
 発明が生まれた場合に、特許出願をするのが王道なのであるが、その他にさまざまな対応の仕方があることは確かである。IBM社の場合には積極公表という方法までをシステム化していたわけであるが、そうしたことも含めて、発明をした後の取り扱いにはどのような選択肢があるのか、もう少し詳しく考えてみることとしよう。

発明→特許出願→公開
 社内に生まれた発明は、これを特許出願して特許権にしていくことがまず王道である。40年前のIBM社の場合、社内に生まれた発明のうちおよそ13-14%を特許出願していたが、米国特許の企業別取得ランキングをみると、現在ではこの出願の比率はかなり高くなっていると推測される。発明を評価した結果、出願するか、しないか決定するというが、実際にはそれほど簡単ではない。改良発明の場合、例えば日本の場合であれば国内優先権制度を活用した出願にするかという判断が求められる。また高評価の発明の場合、外国に出願するが、その場合でも米国までか、欧州まで出願するかという判断も求められよう。ちなみにIBM社の場合、出願する発明をさらにA,B,C,Dと評価し、さらに技術分野の重要性を考慮した上で、外国出願を決定している。

発明→出願→自己公表
  これまた米国IBM社の話なのであるが、最近のニュースでは、IBM社は、米国あるいは外国の特許庁に特許出願を行った直後に、自らその特許出願の技術内容をインターネットで公表するようにしているという。特許出願をしてから各国特許庁がその発明の内容を公開するのは通常、18ヵ月後であり、外国出願の場合は優先権期間があるため、その期間は短くなるにしても、出願からただちに公開されるわけではない。問題はその間に他社が同じような発明について特許出願を行う場合である。現代のように厳しい技術開発競争を行っていると、そうしたことがしばしば発生する。そこでIBM社としては、みずからその発明の内容をインターネットで公開してしまうことで、複雑な問題を回避しようという戦略である。

発明→秘密→不正競争防止法
 発明から公表あるいは特許出願という一連の手続に対して、逆に発明を秘密にしておいて特許出願もしないし、当然に公表もしないという選択肢を強調する動きがある。近年、不正競争防止法が改正されてきて、とくに営業秘密についてその保護が強化されてきている。発明のなかには製法に関わるもののように、その技術商品を分析するだけではなかなか技術内容を理解することが困難な場合がある。その場合、秘密の状態にしておけば他社は容易にその技術を知ることはできない。技術秘密を有する者が秘密管理に努めている場合、その技術秘密を不正に取得してはならないと法の仕組みは構成されているから、大事なことは技術秘密を管理して、その情報が漏出しないようにしていくことである。企業によっては、その技術秘密を文書化し、それを防火金庫等に保管していると聞く。やや大袈裟なように受け取られるかもしれないが、いざ訴訟となった場合に、このくらいにしておけば、秘密管理に努力していること明確となり、立場も強くなる。

発明→秘密→先使用権
 発明が生まれた場合でも、出願をしないままにしておいて、後に他社がその発明を特許出願した場合には、特許法第79条の先使用による通常実施権の規定をフルに活用しようというもので、これならば無駄な特許出願をしないで済むし、他者に自己の発明を示すこともしないで済む。特許庁も無駄な大量出願を防止できるという観点から、また企業の開発実態からみて、この先使用の規定をあらためて活用できるのではないかと考えているようだ(「先使用権に関連した裁判例集について」2006.9.15あるいは「先使用権制度ガイドライン(事例集)について」2011.3.23が参考となる。これらは特許庁ホームページにアップロードされてある)。ところがこの先使用権の活用という考えには賛否さまざまあるようだ。なにしろ先使用権というものが確実なものではないし、他社が特許出願をして特許権とされてしまえば、その対抗力にも本質的に限界があることを理解しておく必要がある。あまりお勧めはできない。

発明→公表→自由技術
 先使用権戦略とは逆に、社内に生まれた発明を積極的に自ら公開して、誰もそれを特許権化できないように努力するという戦略を採用する場合もある。つまり公表の後には、その技術は誰しも自由に使用できるものとし、特定の者が特許権とすることを防止するというわけである。すでにみてきたように米国IBM社の「IBM Technical Disclosure Bulletin」という技術論文誌の発行が典型例である。IBM社の場合、多額の経費により印刷発行し、これを世界の特許庁、著名図書館、著名大学、研究所に送付していた。後に他社がこの文献に掲載されているような技術を特許権化しようとする時に、この論文誌を先行技術文献としての証拠とするわけである。現在ではインターネットという便利なシステムが活用できるから、この自己公表という戦略も容易に採用できるようである。

発明→公表→出願
 大学等の研究者の場合、特許出願の前に学会でその発明を公表し、あるいは学会誌に掲載した論文のなかで発明を公表することがしばしばある。特許制度は、発明が生まれた場合、その発明が特許出願されることにより、発明が公報により広く社会に公開されていくことを制度設計の基本としている。特許出願の前に自らその発明を公表することはその公表した技術内容が、その後の特許出願に対しては先行技術となるために、出願された発明が特許権となるための大きな障壁となる。このため何らかの救済的措置が必要となる。それがよく知られている新規性喪失の例外の規定である(特許法第30条)。ただこの救済措置も限界のあることはよく認識しておかなければならない。救済されるのは自ら公表した発明と、その後の特許出願の関係に限ってのことである。もしも自ら公表した直後に、誰か他人がその公表した発明と同じ内容の発明に関して特許出願をしたりした場合には大変にややこしいこととなる。だから以前は大学等ではこの新規性喪失の例外規定を利用しつつ、論文に発明を掲載した後に、特許出願をするということもしばしばあったが、現在は逆に、こうしたやり方は問題であるという理解が一般的である。

(米国先発明主義型) 発明→公表→出願
 ご存知の通り、米国は多くの国と異なり先発明主義を採用してきた。なぜ米国はこれまで先発明主義を採用してきたか、ここでは詮索することはしない。本知財論趣でいずれ詳しくとりあげてみることとしよう。ともかく同一の発明について複数の発明者がその先後を争う場合に、発明の時点が重要な要素になることはこのコラムを読む者はよく了解されていることであろう。(米国特許法第102条(a)特許出願人による発明より前に、その発明が米国内において他人により(by others)知られてもしくは使用されていた場合、または米国もしくは外国において特許されてもしくは刊行物に記載されていた場合、その発明は特許を受けることができない。)
 ただ発明の時点が重要であると言っても、その発明が公表されてから1年以内に特許出願をすることが条件である。(米国特許法第102条(b)米国における特許出願よりも1年以上前に、その発明が米国または外国において特許されてもしくは刊行物に記載されていた場合、または米国において公然使用されてもしくは販売されていた場合には、その発明は特許を受けることができない。) このルールを活用した場合、発明をした後、先ず論文公表をしてから特許出願をすることがあり得る。米国の大学はそれを望ましいものと考えているようである。

(米国改正特許法型) 発明→公表→出願
 米国の大学が米国流の先発明主義がよいと言っても、それは外国では通用しない。その弊害は実際に発生しているようである。そこで米国は先発明主義を国際的な標準ルールである先願主義に切り替える歴史的ともいえる制度改正を進めつつある。この知財論趣を書いている7月5日現在では、米国改正特許法は、議会上院と下院をそれぞれ通過したとの情報の段階であり、上院と下院の法案内容が少し異なるので、その調整がこれからされるだろうが、それは大きな問題もないので、近いうちに米国は特許法の大改正を実現するに違いない。
 改正法の内容をみていくと、まず有効出願日(effective filing date)という考えを導入し、新規性判断の基準としてこれまでは、発明より前にとしていたものを、有効出願日より前に、へと代えた。これはあきらかに先発明主義から先願主義への大転換である。その代わりに有効出願日より1年以内前に自らその発明を公表した場合には、その公表発明は当該特許出願としては先行技術として取り扱うことはしないとしている。他方、その公表された技術内容は他者に対しては先行技術となる。
 それまでの先発明主義を先願主義に切り替えるために、やや方便としてグレースピリオドの条件を思い切って緩和したわけである。米国はこれによりこれまでの先発明主義から米国型先願主義に移行しても国内の中小企業や大学等はこれまでと実質的に同じように対応できるとして説得したに違いない。先発明主義が発明の時点で先後を争うのに対して、この拡大グレースピリオドでは、公表の時点、公表の内容で先後を争うこととなる。したがって先公表主義とも言える。
 ともかくこの制度導入に伴い、これまで他国との関係ではやや差別的とみられていたルールが大きく変わり、実質的に内外出願人間での取り扱いの差異はなくなるものとみられている。もちろん米国出願に関わる実務も大きく変わっていくに違いない。