知財論趣

米国特許法の改正

筆者:弁理士 石井 正

米国上院、下院で特許法の改正法が成立
 今年3月に米国議会上院において米国特許法案S-23が可決成立し、6月には議会下院において特許改革法案H.R.1249が可決成立した。両法案はその内容をみるとほとんど差異はなく、せいぜい差異としては、特許付与後異議申立制度の異議申立期間が、下院法案では12ヶ月以内とされているものが、上院法案では9ヶ月以内という差があるという程度のものである。
 今後、上院と下院の間で調整が行なわれていき、法案は一本化され、これを議会が了承するという手続が進行するとみれれる。この文章を書いている7月下旬の時点ではまだこの一本化された法案は提示されていないが、議会内においては特許法改正について格別の対立もないところから、この調整も順調に進行することと予想されている。ようやく米国の特許法の改正も大団円の時期を迎えつつあるわけである。

先発明主義から先願主義へ
 その改正法案の内容であるが、これまでの米国独特の先発明主義から先願主義へと大きく制度設計を変えた点が大きい。併せて1年間のグレースピリオドの制度を導入した。自ら論文等にその発明を公表した場合、その公表から1年以内に特許出願をすれば、同じ内容の発明を出願した別の者に対しては、その公表の時点の先後で争うこととなる。これまでは先発明主義であるから、発明の先後を争っていたのに対して、今後は公表時点で争うこととなる。先願主義+1年間グレース・ピリオドに優先権制度が組み合わされ、従来、差別的取り扱いとして国際的にも批判がされてきたヒルマー・ドクトリン等についてもすべて解消されることとなった。
 この他に特許付与後異議制度が導入され、また当事者系の特許レビューの制度も導入された。またこれまで問題視されてきた明細書のベストモード開示義務については、特許権侵害訴訟時に被告側が原告の特許無効の理由にベストモード開示要件を取り上げることはできないとした。これも米国特許実務からすると影響の大きな制度改正と言えるだろう。

振り返ってみれば
 筆者は長く特許庁に勤務したため、今回の米国特許法の改正にはまことに感慨深いものがある。ヒルマー・ドクトリンは米国人と外国人との間で差別的取り扱いになると、日本政府としてまた日本特許庁として機会あるごとに主張し、その解決を求め交渉してきた。交渉の場はそれこそあらゆる機会といってよく、WIPOの多極間交渉の場でも、また日米欧三極特許庁の場でも、また日米間のバイ交渉の場でも、米国制度と実務の差別的部分の不当性を繰り返して主張してきた。しかしどのようにしても、そうした交渉の場における米国側の姿勢に変化はなかった。
 そうしたことを繰り返し経験するなかから、米国特許法の改正として唯一期待できる プロセスについてささやかな文章を書いたことがある。7年前のことであった。今いよいよ米国特許法が改正されようとしている時に、その文章を改めて読みなおしてみたい。(以下の文章は、丸島敏一著、石井正監修「MPEPの要点が解る米国特許制度解説」(株)エイバックズーム 2004年 の「監修者から」の一節である)

米国の制度は変わるか
 それでは米国の特異な制度は将来、変わるのであるだろうか。国際的に調和のとれた制度へと発展していくだろうか。
 監修者は米国の制度はいずれは修正・変更されていくであろうと考えている。現在のように米国のみが国際的にみて特異な制度としていると、米国企業や大学がその知的財産を国際的に活用しようとするときに、逆にハンディキャップを負ってしまうこととなる。米国内ではよいとされていたことが、海外では通用しないことがあり、これが米国企業に大きなマイナスとして働くこととなる。
 ただ時間は要するかもしれない。国際的に調和のとれた制度になるまでには待つよるほかにあるまい。
 幣原喜重郎は戦前、外務大臣を歴任し大正・昭和のあの困難な時代に平和外交を確立するべく努力した人であるが、戦後になって回顧録「外交五十年」をまとめている。そのなかで以下のような経験をしたことを書いている。
 1912年、彼が在ワシントン日本大使館の参事官として勤務していたときのことである。この年、パナマ運河が開通し、米国はこの運河の通行税に関して、米国船には通行税を免除するが外国船には重い税をかけるという法案が議会に提出された。
 これは内外国人に対して差別的な取り扱いをするものであって、特に英米間では相互に差別的な取り扱いをしないとした条約があっただけに、この条約には明らかに違反していた。当然に英国大使ブライスは抗議し、あらゆる機会をとらえてはその非なることを訴えていた。ところが米国はその通行税法案を議会において通過させ決定してしまった。
 幣原はブライスに会って、その後の英国の取る態度を尋ねた。当然、抗議は続けられると思ったのである。ところがブライスはもう抗議は止めるという。
 幣原は尋ねた。なぜ抗議は止めるのか。当時、日本と米国との間には移民問題があり、日本は米国に抗議を続けていたという事情もあったからだ。
 ブライスはこう言ったという。
 「一体、あなたは米国と戦争をする覚悟があるのですか。もしも覚悟があるのならば、それは大変な間違いです。米国と戦争をして日本の存亡興廃をかけるような問題ではないでしょう。私ならもう思いきります。」
 しかもこう付け加えたという。
 「米国の歴史をみると、外国に対して相当不正と思われるような行為を犯した例はあります。しかしその不正は、外国からの抗議とか請求とかによらず、アメリカ人自身の発意でそれを矯正しております。これは米国の歴史が証明するところです。我々は黙ってその時期の来るのを待つべきです。」
 事実、このパナマ運河の通行税制度は第一次世界大戦に入ると米国自身の発意で、撤廃したのである。考えてみれば米国はブライスの言う通りであった。奴隷制度、禁酒法、移民法さらにはヴェトナム戦争。みな米国自身が改めていったのである。(以下省略)

米国のためにする制度改正
 以上の文章は2004年に書いたものであるから、7年前ということとなる。今回の米国特許法の改正は、まさに外国から指摘されて改正したものではなく、米国自身が発意し、米国のためになるとして改正したものである。英国大使ブライスが示唆した通りであった。
 その実感を深めたことがある。今回の米国特許法改正に至るまでの旧改正法案では、先願主義プラス1年間グレース・ピリオドの制度について経過措置が用意されてあった。その経過措置では、「米国特許商標庁長官が、欧州特許条約と日本特許法において、グレース・ピリオドの期間を有効出願日から遡って1年間とする制度を採用した、と宣言するまでの間は、改正法案第102条(a)(1)(A)で用いられているような有効出願日は、仮出願の規定を除き、優先権がないものとみなす。」というものであった。
 欧州と日本については、グレース・ピリオドが1年間とならない限り、優先権がないとして取り扱うというものである。これは欧州には大きなトラブルの種となることは確実であった。ご存知のように欧州ではグレース・ピリオドの制度はきわめて限定的でしかなく、それを1年間に拡大する等ということはまず不可能に近い。筆者はこの米国の経過措置を読んで、再び深刻な特許の国際的トラブルの種になることをひどく危惧した。
 しかし今回の米国特許法の上院および下院改正案では、この経過措置がそっくり外されてあった。陰も形もない。本当に安心した。
 米国自身の発意で経過措置を外したのであった。欧州と日本がグレース・ピリオドを1年間にするならば、という経過措置を導入することは、この先願主義プラスグレース・ピリオド1年間という制度自身が外国に利益をもたらすものであると批判される可能性がある。もしも米国自身のためにこの制度改正をするのであれば、欧州や日本がグレース・ピリオドを1年間に拡大しようとしまいと関係なく、米国は自らその制度改正を決意し、推進するべきであると考えたに違いない。
 あらためて米国という国の理念と振る舞いの本質を認識した次第である。