国・地域別IP情報

市販された製品が先行技術を構成するかどうかに関する拡大審判部への付託(G1/23)

 欧州特許条約(EPC)に基づく新規性および進歩性(inventive step)を評価する際の先行技術(prior art)を構成するために、特許出願が提出される前に市販されている製品が当業者によって分析および複製可能でなければならない範囲を明確にすることを目的として、欧州特許庁の最高の法的機関である拡大審判部に付託が行われました(2023年6月29日EPO発表)。

1.付託を行なった審判事件における審理について

 (1)審判事件の概要

 この事件は、ソーラーパネルの太陽電池をコーティングおよび保護するためのポリマーに関する三井化学株式会社のヨーロッパ特許(EP2626911)に対する異議申立を却下するという異議部の決定に対して提出された審判事件(T 438/19)に関連しています。本件において、特許されたクレーム1の主題が進歩性を有するか否かを判定するためには、市販製品(商標ENGAGE® 8400で販売されている米国The Dow Chemical Company製ポリマー)が特許の有効出願日前に一般に利用可能であったかどうか、したがって最も近い先行技術となることができるかどうかを立証する必要がありました。

 (2)審判における過去の拡大審判部の審決(G1/92)の参照

 本件審判における手続きでは、EPC第54条(2)の意味での「公衆への利用可能性」の要件に関する確立した判例法である、以前の拡大審判部の決定G1/92が参照されました。特に、この決定の以下の『』内に示す頭注(headnote)に言及しました。

 『01)「組成を分析するための理由を特定できるかどうかに関わらず、製品の化学組成は、製品自体が一般に公開され当業者が分析および再現できる場合に、技術水準となる。

  02) 同じ原則が他のいかなる製品にも当て嵌まる。』

 本件審判(T 438/19)では、市販製品ENGAGE® 8400が技術水準と見なされるために必要な分析可能性と再現性の程度に特に焦点が当てられました。これは、G1/92で拡大審判部が、製品の組成あるいは内部構造が技術水準になるためには、当業者がその組成あるいは内部構造を理解し、過度の負担なしにそれを再現できなければならないと裁定したためです。

 異議申立人は、製品の正確な複製は必要ではないと主張し、さらに、ENGAGE®8400ポリマーの化学組成をどの程度再現できるかにかかわらず、その材料の特定の特性(クレームの対象)は出願日より前に周知になっていることから、ENGAGE®8400を正確に再現できなかったという理由でそのような情報を無視することは、正しくなく不合理であると主張しました。

 特許権者は、逆に、ENGAGE® 8400が出願日より前に市販されていたことは争わないが、ポリマーはG1/92が意味するような形で一般に利用可能になることはないと主張しました。特許権者はまた、そのようなポリマーをその合成の条件を知らずにリバースエンジニアリングすることは、広範な研究プログラムを必要とし、その必要性は過度の負担をもたらし、しかも成功する保証がないことを指摘しました。

 したがって、所有者は、ENGAGE®8400ポリマーが実施可能になっていないことから、先行技術を構成できないと考えました。

 その分析において、付託を行なった審判部は、拡大審判部の決定G1/92が解釈の相違を引き起こし、市販製品がどの時点で技術水準と見なされるかについての法的な不確実性につながっていると指摘しました。審判部はさらに、市販製品の組成を決定するために必要な分析の程度について明確な基準がないことから、市販製品を技術水準として適用することに関してさまざまな解釈が為され得ることを強調しました。

 技術水準を構成するかどうかの判断に際して、一部の審判部は、製品の正確な組成の分析の要件を採用しましたが、他の審判部はより寛大な立場を採用し、市場に出された製品の完全な分析はクレームされた主題の新規性をなくすために必要ではないと考えました。G1/92から生じる異なる解釈は、製品の完全な分析が必要であることが示唆された決定T946/04と、完全な分析が必要とされなかった決定T952/92とに顕著に表れています。

 拡大審判部の決定G1/92から生じるいわゆる「再現性基準」についても同様に、異なる解釈がなされています。特に、一部の審判部は、決定G1/92が製品を正確に複製する必要があることを示していると示唆していますが、他の審判部はより寛大な立場を採用し、市場に投入された製品は、その再現性に明示的にまたは部分的にしか対処せずに技術水準を構成すると見なしています。この点に関して決定G1/92から生じる異なる解釈は、製品の正確な複製が要求された決定T977/93と、正確な再現を可能にするための完全な分析が必要とされなかった決定T952/92に表れています。

 さらに審判部は、製品の分析と再現に不当な負担が必要であると判明した場合、その製品とその構成を最新技術から除外すべきか、それとも製品の構成のみを除外すべきかについて、異なる判例法があることを強調しました。この相違点の重要性を強調するために、審判部は、最も近い先行技術を決定することに重点を置き、進歩性に対するさまざまな影響(wider implications)を指摘しました。特に、決定G1/92の適用において、製品がEPC第54条(2)に規定する技術水準とはなっていない場合、その製品は特許クレームの進歩性を評価するための出発点として使用することはできません。

 しかしながら、組成が先行技術ではないというだけで、製品自体は市販されている場合、その製品は、先行技術文献で報告されたその製品に関する技術情報が当業者にとって特に興味深いものになるならば、進歩性の評価のための出発点として使用することができます。本審判事件を担当した審判部は、市販製品ENGAGE® 8400が引用文献の実施例で本発明と同じ目的に適していることが示されたため、これが本審判の場合に当て嵌まると指摘しました。

 

2.拡大審判部への付託

 (1)付託G1/23の質問内容

 上述の不確実性を考慮し、法律の統一的な適用を確保するために、以下の質問が拡大審判部に付託されました。

  1)欧州特許出願の提出日より前に市場に投入された製品は、その組成または内部構造をその日より前に当業者が過度の負担なしに分析および複製できなかったという唯一の理由で、EPC第54条(2)の意味の範囲内での技術水準(the state of the art)から除外されるか。

  2)質問1の答えが「いいえ」の場合、出願日より前に一般に公開された当該製品に関する技術情報(例えば、技術パンフレット、非特許文献または特許文献の発行によって)は、その日以前に当業者が過度の負担なしに製品の組成または内部構造を分析および複製できるかどうかに関係なく、EPC第54条(2)の意味の範囲内での技術水準であるか。

  3)質問1の答えが「はい」の場合、または質問2の答えが「いいえ」の場合、決定G1/92の意味の範囲内で、製品の組成または内部構造を過度の負担なしに分析および再現できるかどうかを判断するために、どの基準が適用されるか。特に、製品の組成と内部構造が完全に分析可能で、まったく同じ再現性を備えている必要があるか。

 (2)付託(G1/23)に関する拡大審判部の審理の状況

 付託(G1/23)は2023年8月時点で保留中であり、拡大審判部は2024年に口頭審理を行なう可能性が高いようです。したがって、拡大審判部の決定は2025年初頭になる可能性があります。その間、欧州特許庁は、第三者がこの問題に関する書面によるコメントを提出する機会を提供してきました。そのような提出物は、十分な検討が確実に行われるように、2023年11月30日までに提出する必要があります。

 

3.実務上の留意点

 特許された発明に類似する製品、あるいは特許発明を具現化した製品が当該特許の有効出願日より前に市場に出回った場合、当該製品自体あるいはその組成または内部構造がEPC第54条(2)に規定された技術水準を構成するかどうかは、当該特許の有効性に直接関わることから、今後の特許実務に影響を及ぼすと言えます。そのため、どのような付託がなされたかをよく理解した上で、当該付託について拡大審判部が最終的にどのように決定するかを注視することが望まれます。

 特に化学分野においては、パラメータにより特定された発明に対して、先行技術として市販品を対象に含めて検討することも多く、その場合に、どのような市販品であれば新規性・進歩性の先行技術となり得るかについては重要な論点となります。

[情報元]

1.D Young & Co Patent Newsletter No.96 August 2023 “G 1/23: assessing whether commercially available products are prior art”

              https://www.dyoung.com/en/knowledgebank/articles/g123-prior-art

2.IP Alert Patent (Lavoix Communication) “Referral to the Enlarged Board of Appeals – G 1/23 Solar Cell”  (July 2023)

              https://www.lavoix.eu/referral-to-the-enlarged-board-of-appeals-g1-23-solar-cell/

3.EPO website “Referral to the Enlarged Board of Appeal – G 1/23 (“solar cell”) 29 June 2023″

              https://www.epo.org/law-practice/case-law-appeals/communications/2023/20230629.html#:~:text=Under%20Art.,law%20of%20fundamental%20importance%20arises.

4.審判部の中間決定T438/19原文(EPO websiteより)

              https://new.epo.org/en/boards-of-appeal/decisions/t190438ex1

5.JETRO デュッセルドルフ事務所「EPO審判部、先行技術を構成する技術水準(公衆に利用可能)の解釈を拡大審判部に付託(2023年6月29日)

              https://www.jetro.go.jp/ext_images/_Ipnews/europe/2023/20230629_2.pdf

[担当]深見特許事務所 野田 久登