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優先権の移転に関するEPO審判部審決

(欧州)EPOの確立された”all applicants” approachにより、米国仮出願に基づく優先権の有効性が否定され、特許が無効とされたEPO審判部審決(T407/15)

I.本件の背景
 ウエスタンオンタリオ大学は、欧州特許出願(EP2252901A)を拒絶するというEPOの決定に対して審判を請求しました。この出願は、PCT出願から移行されたものであり、そのPCT出願は、当該PCT出願の出願人ではない出願人-発明者(applicant-inventor)によって出願された2件の米国仮出願に基づいて優先権を主張していました。
 審判手続中に、審判部は、優先日と出願日との間に発明者によって公開された文献を特定しました。その文献は、本願のクレームに記載の主題に特に関連性があると判断され、その結果、優先権主張の有効性の有無が、クレームされた発明の特許性に関連するようになりました。

II.本件審決の概要
 1.EPC第87条(1)の規定、およびEPOの実務について
 EPC第87条(1)は、「次の何れかの国において又は何れかの国について,正規に特許出願,実用新案出願又は実用新案証の出願をした者又はその承継人は,同一の発明について欧州特許出願をすることについては,最初の出願の日から12月の期間中優先権を有する。」と規定しています。この条文の英語版は、以下のようになっています。
 “Any person who has duly filed ….. an application for a patent, ….. or his successor in title, shall enjoy, for the purpose of filing a European patent application in respect of the same invention, a right of priority”(一部省略)
 この条文は、パリ条約第4条A(1)と実質的に同じ内容です。英語版の”any person”の
“any”の解釈が、本件審決で適用された”all applicants” approachに関連しますが、日本の特許庁のホームページに掲載されたEPC第87条(1)およびパリ条約第4条A(1)のいずれの日本語訳文においても、”any”の意味が明確には表れていません。
 確立されたEPOの実務によれば、優先権の基礎となる出願のすべての出願人、またはその承継人は、有効な優先権主張のために後の出願の出願人でなければなりません。このEPOの実務(”all applicants” approach)は、CRISPR-Cas9特許(EP2771468B)に関する審判部の2010年1月17日の審決(T844/18)において、確認的に維持されています。(以下の項目IIIにおいて、その審決の概要を説明します。)
 さらに、優先権を主張する権利の移転は、後の出願の出願日より前に行われている必要があります。他の国、地域(other jurisdictions)では、優先権の譲渡が後の出願の出願日より後に行われた場合に、その有効性が遡及的に認められていますが、EPOでは、そのような遡及的譲渡は認めていません。
 2.審判部の判断
 本件の場合、米国の各仮出願は、ウェスタンオンタリオ大学が譲受人であることを、それぞれの出願日に(したがって、PCT出願日の前に)明記していました。ただし、譲渡の具体的内容についてそれ以上は言及されていません。
 審判部は、これでは先の出願に基づいて優先権を主張する権利の有効な移転を立証する十分な証拠ではないと判断しました。その理由として審判部は、「この判断は、最初の出願が、その出願の出願人としての権利と優先権という2つの異なる独立した権利を生じさせるという事実に基づいている。優先権書類は、特許を受ける権利の譲渡の証拠を提供しているが、先の出願に基づく優先権について何も言及していない。」と述べています。
 EPCとパリ条約は、優先権の有効な譲渡に関する要件を正式には規定していません。ただし、優先権主張の有効性が問われる場合、出願人/特許権者が権利の継承を立証する責任を負うことがEPOの実務慣行として確立されています。このような実務慣行に基づいて、ウエスタンオンタリオ大学は、先の米国の仮出願から優先権を主張する権利があるという証拠を提供するよう求められました。
 しかしながら、ウエスタンオンタリオ大学は、そのような証拠を提出することができませんでした。その結果、審判部は、出願には優先権が認められないとの決定を下し、仮出願の出願日と欧州特許出願の出願日(PCT出願日)との間の公知文献の開示を考慮して、クレームに記載の発明は進歩性がないと結論付けました。

III. EPOの”all applicants” approachを維持したCRISPR-Cas9特許に関する審決(T844/18)の概要
 欧州特許(EP2771468B)は、その出願時に多くの米国仮出願に基づいて優先権を主張しており、それらの仮出願のうちの最初の2件が、後のPCT出願の出願人ではない出願人-発明者(applicant-inventor)を含んでいました。彼の優先権を主張する権利の移転については、後の出願が出願される前には行なわれていませんでした。その結果、EPOの異議部は、当該特許は、上記2件の米国仮出願に基づいて優先権を主張する権利を有さず、先の出願と後の出願との間の公知文献により新規性が阻害されるため、当該特許は取り消されるとの異議決定を下しました。
 当該異議決定に対して請求された審判において審判請求人は、審判部に対して次の3つの質問をしています。
 (1)EPOは優先権の有効性を判断すべきか。
 (2)EPC87条(1)の”any person”はどのように解釈されるか。
 (3)先の出願が出願される国の国内法(本件の場合は米国法)はEPC第87条(1)の”any person”の解釈を左右する(govern)か。
 これらの質問に答える形で、審判部は次の見解を示しています。
 上記質問(1)に対して:EPOは優先権の主張が有効かどうかを判断する権利および義務を有する。
 上記質問(2)に対して:EPC第87条(1)の”any person”という表現は、優先権の基礎となる先の出願の出願人のすべて、またはその承継人が、後の出願の出願人であることが必要である。
 上記質問(3)に対して:”any person”を規定している法はパリ条約であり、先の出願国の国内法の規定にかかわらず、上記2の判断から外れる(deviate)ものではない。(すなわち、先の出願を出願する国の国内法(本審決の場合は米国法)により、”any person”の意味が左右されるものではない。)

IV. 実務上の留意点
 後の出願について特許権を得るためには、先の出願に基づいて優先権を主張する権利を、後の出願の出願日より前から、後の出願の出願人(applicants/proprietor)が有していたことを証明する必要が生じる可能性があります。よって、先の出願の出願人のすべてが後の出願に記載されていない場合、先の出願の出願人から後の出願の出願人への優先権の移転に明確に言及した譲渡証書を作成しておくことが、好ましいと思われます。

[情報元] D Young & Co Patent Newsletter No.81 February 2021 “Priority right-Prove it or lose it”
          D Young & Co Patent Newsletter No.80 December 2020 “CRISPR patent appeal decision: EPO maintains “all applicants” approach to priority”
          本件EPO審判部審決(T407/15)および関連審決(T844/18)原文
[担当]深見特許事務所  野田 久登