知財論趣

証拠を残すことの意味

筆者:弁理士 石井 正

研究ノート
 科学者であれば、研究ノートがどれほど重要なものか、骨身に沁みて理解していることでしょう。研究ノートは各頁が加除できるルーズリーフ式ではないノートで、その日の研究の結果をメモし、それを研究の上司かあるいは研究室のメンバーにサインをしてもらいます。美麗であることよりも詳細にして、正確に事実を記述することが研究ノートの大事なところです。随分古い話になりましたが、30年以上前、米国の大学院に留学していたときのこと、実験中に実験ノートがあまりにも汚れてしまったため、これを清書してレポートとして提出したのです。ところがこの清書が大問題であると、担当教授からひどく非難されたことがほろ苦く思い出されます。「清書したのでは、実験の結果が事実かどうかを証明できない」という非難でした。まさに研究ノートの本質につながるものでしょう。理化学研究所のSTAP細胞の研究ではさまざまな問題が指摘されましたが、研究者の研究ノートの内容があまりに貧弱であると指摘した者もいたようです。研究者が見出した事実を正確に記述して、それを記録として残しておくことを求めることは、科学研究に限らないようです。

アルピニズムにおける登攀記録
 アルピニズムにおいては、初登攀は最大の評価になります。まず最初に目標とする高峰を登攀すること、次いで積雪期や冬季に初登攀することが評価されます。さらにはより困難なルートを経由して初登攀すること、最後にはそれをソロ=単独で登攀するという困難も評価されます。そして初登攀者の名は名誉とともに記録され残されていくのです。最初の登攀は頂上になんらかの証拠を残すことでその登攀を証明できるのですが、問題はその後の困難なルートの登攀で、その証明は簡単ではありません。ましてやソロ=単独での登攀となるとその証明はまことに厄介な問題を引き起こします。登攀者は単独で、その登攀を誰も確認していないためです。

スロヴェニアのトモ・チェセン
 現在、世界トップクラスのアルピニストは数多く存在しますが、なかでもスロヴェニア出身のトモ・チェセンは驚くべき登攀実績を示し、ベスト・クライマーの評価を得ているのではないでしょうか。ここであえて、語尾に「ないでしょうか」としたのは理由があります。1959年スロヴェニアのクラニイに生まれ、19歳の時にはユーゴスラビア隊のペルー・アンデス遠征に参加し、アルパマヨ(5947m)の南東壁を3人の仲間とビバーク1回で初登攀。1985年春にはヤルン・カン(8505m)に遠征。北壁新ルートから初登攀。パートナーのベルガントは下降中に滑落死し,チェセンは8300mで単独ビバークの後、生還したのです。この年、夏にはヨーロッパアルプスでグランド・ジョラス北壁をソロで6時間、同じマッキンタイヤ=コルトン・ルートをソロ初登攀。翌年には3月にアルプス三大北壁を連続、単独で登攀するという偉業を達成しました。1986年にはカラコルムのブロード・ピーク(8047m)にベースキャンプからアルパイン・スタイルで単独で登頂。その後、K2に転じ、同じようにアルパイン・スタイルで南南東リブを初登。89年にはネパール・ヒマラヤのジャヌー北壁ダイレクト・ルートを単独アルパイン・スタイルで初登攀。このときの所要時間はわずかに23時間でした。

ローツェ南壁単独登攀
 そして最大の話題となったのが、1990年のローツエ南壁の単独アルパイン・スタイルでの登攀成功でした。チェセンの登攀で驚くべきことは、それまでのヒマラヤ登山の常識を大きく変えてしまった点なのです。8000メートル級の登山では、極地法と称し、ベースキャンプから第1キャンプ、第2キャンプと次々に作り、そこを数十名の隊員が荷揚げのために往復し、最後に登頂隊員が頂上に挑戦するのがそれまでの登山法でした。ところがチェセンの場合、それを一人で、しかもわずか20時間から40時間で頂上まで達してしまうのです。ヒマラヤ登山=大遠征隊という常識を大きく変えてしまいました。ましてローツエ南壁はそれまでメスナー、ジャジェール等の超一流クライマーを含めた13回の挑戦を退けてきた困難な壁です。そこを単独でしかも45時間で登攀したわけです。もちろん世界はその驚異的実績に最高の評価を与えました。しかし3年後にその評価が揺らぎます。チェセンが果たして登攀に成功したのか、その証拠がまったくないという批判が出てきました。それに加えて発表した登山専門誌のローツエ南壁の写真が他人の写真原画を無断借用したものであることも明らかになったのです。疑念はそうなると増幅します。最難関の核心部にもまったくハーケンひとつ残していないこと、下降ルートに通常ルートを選択せず、わざわざ困難な登攀ルートを選択していること等々。今でもチェセンのローツェ南壁単独登攀の成否は議論されています。なにしろ証拠がないのですから。ただ登攀実績に証拠が果たして必要なのか、この点も議論になるところです。
 英国ではアルピニズムは紳士のスポーツであって、自己申告を疑うということはあり得ないと主張する者が多数です。しかしそれでも何らかの証拠は求められますね。