国・地域別IP情報

Amgen v Sanofi事件において、EPOでの審判請求の取り下げにより、UPC控訴裁判所判決と同様に進歩性有りとの結論を示したEPO異議部決定が確定

1.本稿の概要

 先般、弊所HPの国・地域別IP情報において、PCSK9タンパク質に対する治療用モノクローナル抗体に関する本件特許(欧州特許第3 666 797号)の有効性をめぐり、統一特許裁判所(UPC)および欧州特許庁(EPO)において、特許権者であるとともにUPCでの侵害訴訟の原告でありかつ取消訴訟の被告であるAmgen社と、EPOでの異議申立人であるとともにUPCでの侵害訴訟の被告でありかつ取消訴訟の原告であるSanofi社/Regeneron社との間で繰り広げられている特許紛争について取り上げました(2026年3月6日付け弊所配信記事「UPC中央部の特許無効の判決を覆してEPO異議部の決定と同様に特許は有効であると判断したUPC控訴裁判所の判決」(https://www.fukamipat.gr.jp/region_ip/15407/)参照)。

 この記事の配信の時点では、UPC控訴裁判所において本件特許は有効であるとの判決が出されており、UPC協定第73条の規定により当該判決は終局判決であって判決が出た時点で確定している一方で、EPOにおいては異議申立人によって、本件特許は有効であるとする異議却下決定に対する審判請求がなされており、審判に係属中でありました。この度、2026年3月12日付けで、EPOでの審判手続において審判請求が取り下げられたことが判明しました。これにより、EPO異議部による本件特許の有効性を認める決定が確定しました。

 UPC控訴裁判所の判決およびEPO異議部の決定がともに本件特許の有効性を認めて確定したことにより、欧州における抗体および医療用途に関するクレームの評価に関してEPOとUPCとで評価の方向性が一致したことを改めて示す結果となりました。

 

2.事件の経緯

 本件のここに至るまでの経緯についてはこれまでに弊所配信記事で説明してきましたが、改めてここで簡単に説明いたします。

(1)本件特許の成立

 本件特許は2023年5月17日にEPOにより特許付与の公告がなされ、UPCの全締約国17ヶ国で有効化されました。

(2)UPC中央部への取消訴訟の提起

 2023年6月1日に、Sanofi社は、本件特許に対する取消訴訟をUPC中央部(ミュンヘン支部)に提起しました。

(3)UPCミュンヘン地方部への侵害訴訟の提起

 同じく2023年6月1日に、本件特許の特許権者であり取消訴訟の被告でもあるAmgen社は、取消訴訟の原告であるSanofi社およびそのパートナー企業であるRegeneron社に対して、本件特許に関する侵害訴訟をUPCミュンヘン地方部に提起しました。

(4)侵害訴訟における取消反訴の提起

 この地方部での侵害訴訟において2023年11月24日に、特許の取消しを求める反訴が、取消訴訟の原告であるSanofi社ではなく侵害訴訟の一方の被告であるRegeneron社によって提起されました。

(5)取消反訴のUPC中央部への付託

 特許取消の反訴が提起されたUPCミュンヘン地方部は、Regeneron社が提起した反訴をUPC中央部に付託しました。これにより、UPC中央部は、Sanofi社が提起した取消訴訟とRegeneron社が提起した反訴とを一括して処理することになりました。

(6)EPOでの異議申立

 Sanofi社によって2023年11月10日に、Regeneron社によって2024年2月19日に、本件特許に対する異議申立がEPOに提起されました。

(7)UPC中央部の判決

 2024年7月16日に、UPC中央部は、進歩性の欠如を理由に本件特許を無効とする取消判決を下しました。Amgen社はこれを不服としてUPCの控訴裁判所に控訴しました。

(8)EPO異議部の決定

 2025年5月21日に、EPOの異議部は、本件特許の発明は進歩性を有すると判断して、異議申立を却下する決定を下しました。異議申立人はこれを不服として上級審のEPO審判部に審判を請求しました。

(9)UPC控訴裁判所の判決

 取消判決についてUPC控訴裁判所は、2025年11月25日付けでUPC中央部の特許無効の判決を覆してEPO異議部の決定と同様に特許は有効であるとの終局判決を下しました。

(10)EPOでの審判請求の取り下げ

 2026年3月12日付けで、異議申立人が審判部への審判請求を取り下げ、EPO異議部による本件特許の有効性を認める決定が確定しました。

 

3.本件取消訴訟および異議申立の争点

(1)UPC中央部およびEPO異議部の考え方の相違

 上記の事件の経緯の(7)および(8)に記載しているように、UPC中央部の第一審判決では本件特許は無効と判断され、EPO異議部の異議決定では本件特許は有効と判断され、UPCとEPOとで異なる進歩性の判断が示されました。このような第一審の段階で進歩性の有無について異なる結論に達した理由は、UPC中央部とEPO異議部とで、成功の合理的期待に関する異なるアプローチを採用したことによるものでした。

 ① UPC中央部の判断

 UPC中央部は、引用文献にクレーム発明に対するインセンティブがあり、そして次のステップが当業者にとって通常の実験を超えるものではない場合には、クレーム発明が進歩性を欠くという結論に至るために成功の合理的期待が必要であるか否かという問題については判断しなくてもよい、との考えを示しました。本件についてUPC中央部は、研究者にとってPCSK9に対する抗体を開発することは、引用文献から「次の明白なステップ」であり、そうすることは「当業者にとって日常的な実験以上のものではない」と論じ、研究者にPCSK9を標的とする抗体の開発を指示した引用文献に対する進歩性が欠けているとして、本件特許を無効としました。

 ② EPO異議部の判断

 これに対し、EPO異議部は、引用文献は高コレステロール血症の治療においてPCSK9とLDLR(低密度リポ蛋白質受容体)との相互作用を阻害する抗体を用いることを示唆しているものの、当該抗体を用いることが実際に治療効果を発揮するであろうという成功の合理的期待を当業者に与えるものではない、と判断しました。すなわちEPO異議部は、PCSK9LDLRとの結合を阻害または減少させる抗PCSK9抗体が治療効果を有し得ると当業者が合理的に予測することはできなかったであろうと考えました。

 これらの議論の詳細につきましては、本稿の冒頭に示しました2026年3月6日付け弊所配信記事「UPC中央部の特許無効の判決を覆してEPO異議部の決定と同様に特許は有効であると判断したUPC控訴裁判所の判決」(https://www.fukamipat.gr.jp/region_ip/15407/)の「3.UPC中央部の判決およびEPO異議部の決定の相違点」において詳細に説明していますのでご参照ください。

(2)UPC控訴裁判所の考え方

 その後、上記の事件の経緯の(9)に記載しているように、UPC控訴裁判所は、UPC中央部の特許無効の第一審判決を覆してEPO異議部の決定と同様に特許は有効であるとの最終判断を下しました。

 UPC控訴裁判所は、UPC中央部の見解とは反対に、成功の合理的な期待を考慮する必要があることを確認しています。控訴裁判所は、当業者がクレームされた治療法の開発において成功を合理的に期待できるのは、「治療効果のある治療法につながるという十分な兆候」がある場合のみであると明示的に述べています。有効出願日においてはPCSK9が機能するメカニズムは未知であり、したがって、当業者は抗PCSK9抗体によって治療効果が達成されるかどうかを知ることはできませんでした。控訴裁判所は、当業者が有効出願日における自身の知識に基づき、PCSK9を標的とする抗体の開発を成功の合理的な期待を持って検討することはないであろう、と考えました。

 UPC控訴裁判所がその判決で示した医療用途クレームの解釈に関する様々な指針に関しましても同様に上記の弊所配信記事の「4.UPC控訴裁判所の判決」において詳細に説明していますのでご参照ください。

 

4.EPOにおいて進歩性有りとの判断が最終的に確定したことの意義

 今般、異議申立人の審判取り下げによりEPO異議部の決定は変更されることなくそのまま確定し、係争の初期段階で強調された重要な原則を改めて確認するものとなりました。すなわち、医薬品用途クレームにおける進歩性を評価する際、決定的な問題は、先行技術が当業者に特定の治療標的を追求する動機を与えたかどうかではなく、クレームに係る治療法が有効であろうという合理的な期待を先行技術が提供したかどうかである、ということになります。

 PCSK9の場合、引用文献は当該タンパク質を標的とすることを示唆していたものの、その生物学的メカニズムおよび治療上の関連性については根本的な不確実性が残されていました。そのため、EPOは、PCSK9を阻害する抗体が高コレステロール血症を効果的に治療するであろうと当業者が確信を持って期待することはなかったと結論付けました。この結論は、EPOにおける最終判断となりました。

 一方、UPC中央部は当初、本件特許を自明であるとして無効としましたが、UPC控訴裁判所はこれを覆し、EPOと同様に、治療上の成功に対する合理的な期待の欠如を重視した判決を下しました。本件は、UPCおよびEPOが同じ結論に至ったことで、EPOおよびUPCの実質的な収斂を示す最も明確な初期の事例の一つとなりました。ライフサイエンス分野における進歩性に関する根本的なアプローチは、ますます一貫性を増しているように思われます。特許権者にとって、本件の結果は、欧州において、特に医療用途の形態における機能性抗体クレームは、実質的かつ非自明な治療上の貢献に基づいている限り、依然として有効であることを改めて示すものです。

 今回のEPOの審判手続きの終結は、長年にわたる紛争に待望の明確化をもたらすとともに、EPOおよびUPCの判断枠組みの整合性につながるものであり、欧州におけるバイオテクノロジー特許訴訟の将来にとって重要な進展と言うことができます。

[担当]深見特許事務所  堀井 豊

 

[情報元]

     1. Venner Shipley “Inside IP: Summer edition 2026” | June 24, 2026 “Amgen v Sanofi: EPO appeal withdrawal confirms European alignment”

https://www.vennershipley.com/insights-events/sanofi-v-amgen-epo-appeal-withdrawal-confirms-european-alignment/