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優先権主張の基礎出願においても十分な開示が必要であることを確認したEPO審判部の審決

 欧州特許庁(EPO)審判部は、審判事件T 0883/23の審決において、優先権主張の基礎出願には、本件特許発明の構成要素だけでなく、その発明を実施可能にするために必要な技術情報も含まれていなければならないことを改めて示しました。本稿においては、本件審判事件の種々の争点の中で優先権主張の有効性に関する争点に絞って解説いたします。

 

1.事件の経緯

(1)本件特許

 Ipsen Biopharm Ltd.(以下、「Ipsen社」)は、化学療法を以前に受けていない患者における転移性膵腺癌の治療法において使用される薬剤であって、他の3種類の薬剤と組み合わせて使用される薬剤に関する欧州特許第3,337,478号(以下、「本件特許」)を所有しています。本件特許は、7件の米国特許出願[i]に基づく優先権を主張したPCT出願(PCT/US2006/047727)から欧州広域段階に移行した欧州特許出願(16758337.6)に基づいて成立した欧州特許です。

(2)異議申立

 Sandoz AGおよびGenerics [UK] Ltd.の2社はそれぞれ、本件特許は先行技術文献により進歩性を欠くとする異議申立をEPO異議部に行いました。EPO異議部は、異議手続においてIpsen社の主請求で補正された本件特許は欧州特許条約(EPC)の要件を満たしているとして、これらの異議申立を却下しました。

(3)審判請求

 異議申立人である2社はこの却下決定を不服としてEPO審判部に審判を請求しました。

 

2.本件特許のクレーム

 異議手続における主請求で補正された本件特許のクレーム1の原文および弊所仮訳を以下に示します(弊所仮訳は本件特許の対応日本特許である特許第7463329号の請求項1の文言を参照しています)。

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Claim 1

“Liposomal irinotecan for use in a method of treating metastatic adenocarcinoma of the pancreas in a human patient who has not previously received chemotherapy to treat the metastatic adenocarcinoma of the pancreas, wherein the liposomal irinotecan is administered in combination with oxaliplatin, leucovorin, and 5-fluorouracil, the method comprising administering an antineoplastic therapy to the patient a total of once every two weeks, the antineoplastic therapy consisting of:

  1. 60 mg/m2 of liposomal irinotecan,
  2. 60 mg/m2 oxaliplatin,
  3. 200 mg/m2 of the (l)-form of leucovorin or 400 mg/m2 of the (l+d) racemic form of

leucovorin, and

  1. 2,400 mg/m2 5-fluorouracil;

wherein the liposomal irinotecan is irinotecan sucrose octasulfate salt liposome injection.

クレーム1

転移性膵腺癌を治療するための化学療法を以前に受けていないヒト患者の転移性膵腺癌の治療方法において使用するためのリポソーム型イリノテカンであって、前記リポソーム型イリノテカンは、オキサリプラチン、ロイコボリン及び5-フルオロウラシルと組み合わせて投与され、前記治療方法は、抗腫瘍療法を合計で2週間ごとに1回前記ヒト患者に施すことを含み、前記抗腫瘍療法は、以下のものから成り:

  1. 60 mg/m2のリポソーム型イリノテカン、
  2. 60 mg/m2のオキサリプラチン、
  3. 200mg/m2の(1)型ロイコボリンまたは400 mg/m2の(1+d)ラセミ型ロイコボリン、及び
  4. 2,400mg/m2の5-フルオロウラシル

ここで、前記リポソーム型イリノテカンは、イリノテカン・スクロース・オクタスルファート塩リポソーム注射剤である。

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3.EPO審判部の判断

(1)審判の争点

 前審のEPO異議部においては、本件特許のクレームされた主題は、7件の優先権基礎出願(米国特許出願)のうち最先の優先日の利益を享受することができ、このため主な先行技術文献がEPC第54条(2)[ii]の下で先行技術を構成しないと判断されました。この点が審判での争点の1つになりました。

 本件審判事件においては、本件特許のクレームされた発明の主題が優先権の利益を享受できるか、すなわちEPC第87条(1)[iii]の意味するところにおいて、優先権主張の基礎出願の発明と「同一の発明(the same invention)」と認定できるかどうか、が検討されました。この点に関してEPOの実務においては、EPO拡大審判部の決定G 2/98[iv]により、クレームされた発明の主題は先の出願から「直接かつ一義的に導き出せる(directly and unambiguously derivable)」ものでなければならないという原則が確立されています。

(2)争点についての審判部の結論

 本件審判事件において、EPO審判部は、治療に関する発明の分野においてEPC第87条(1)の「同一の発明」という要件は、優先権主張の基礎出願において単に構造や用量に関する特徴が存在するだけでは満たすことができず、当該基礎出願が、クレームされた治療法の効果を裏付ける程度に機能的技術的情報を十分に開示しているかどうかにもよることが明確になりました。

 本件で問題となった優先権基礎出願には、臨床用量設定試験における用量の増量(エスカレーション)および減量(デ・エスカレーション)のスキームが開示されていました。同出願には、リポソーム型イリノテカンおよびオキサリプラチンに関するいくつかの投与レジメン[v]が記載されていましたが、試験結果については報告されていませんでした。投与手順においてより高い用量(80/60 mg/m²)で開始することは不適切であり、本件特許にクレームされている減量されたレジメン(60/60 mg/m²)であればヒト患者において忍容性があることを示すデータは基礎出願(米国出願)には開示されておらず、このデータが開示されたのは、基礎出願に基づく優先権を主張したPCT出願においてでした。

 審判部は、EPOの確立された判例法(審決T 2506/12)[vi]に基づき、用量の忍容性はクレームの「機能的な技術的特徴」であり、したがって優先権主張の基礎出願において開示されていなければならないと判断しました。審判部は、当該判例法が「本件特許においてクレームされた発明が優先権主張の基礎出願において十分に開示される必要性があること」、すなわち単に本件特許の出願日時点だけでなく優先日時点でも十分に開示されているべきことを確認している、と判示しました。

 本件において、PCT出願において後から提出されたデータは、クレームされた用量の組み合わせの技術的効果を実証するものでしたが、優先権主張の基礎出願にはその記載がなかったため、審判部は、当該基礎出願が、EPC87条(1)項が要求する意味で「同一の発明」を開示していなかったと判断しました。本件審決は、本件のようにクレームされた治療用量の忍容性が発明の技術的特徴となる場合には、その特徴を裏付ける技術情報が優先日において開示されている必要があり、単なる試験プロトコルだけでは不十分であるという従来の判例法を再確認しています。その結果、最終的にクレームされた発明の特徴(60 mg/m²のリポソーム型イリノテカンと60 mg/m²のオキサリプラチンの組み合わせにおける忍容性)は、優先日時点ではその実現可能性が十分に裏付けられていなかったとみなされたのものであり、本件において優先権主張は有効とは認められませんでした。

 この結果、本件特許の出願日の前に公開された引用文献がEPC第54条(2)の下で先行技術を構成するものと認定されました。しかしながらEPO審判部は、これらの先行技術文献が、異議手続における主請求で補正された本件特許のクレーム1の進歩性を否定するものかについて改めて検討し、当該クレーム1は先行技術文献を超えて進歩性を有するとの結論に至り、異議申立人による審判請求を却下する決定を下しました。

 

4.実務上の留意点

 このEPO審判部の決定は、クレームされた発明が優先権主張の基礎となる書類において十分に開示されていることの必要性を確認するとともに、慎重な出願戦略の必要性を明確にしています。ライフサイエンス分野において、出願人は、開発プロセスの早い段階、時には実験結果が得られる前に優先件主張の基礎となる出願を行うことを希望するかもしれません。この戦略は早期の優先日を確保できる一方で、本件のように有意義な裏付けデータなしに行うことにはリスクが伴います。

 本件特許発明の治療効果や忍容性プロファイル、その他の機能的側面が最先の基礎出願に開示されておらず、後続の優先権主張出願で初めて裏付けられるような場合には、優先権主張が認められない事態になりかねません。そうなると、優先日から後続出願の実際の出願日までの間に公開されたあらゆる開示情報が、新規性および進歩性の判断において完全な先行技術として扱われることになります。EPO審判部が本件審判事件で確認したように、本件発明のような治療に関するクレーム発明においては、基礎出願における開示の十分性と優先権主張の適格性とは密接に関連していることに留意して、出願戦略を立案すべきと考えられます。

 

 

[i] 米国特許出願第62208209号(2015年8月21日)

 米国特許出願第62216736号(2015年9月10日)

 米国特許出願第62273244号(2015年12月30日)

 米国特許出願第62281473号(2016年1月21日)

 米国特許出願第62302341号(2016年3月2日)

 米国特許出願第62323245号(2016年4月15日)

 米国特許出願第62343313号(2016年5月31日)

 

[ii] EPC第54条は新規性の規定であり、(2)は先行技術(技術水準)の定義を規定しています。条文は以下の通りです。

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(1) 発明は,それが技術水準の一部を構成しない場合は,新規であると認められる。

(2) 欧州特許出願の出願日前に,書面若しくは口頭,使用又はその他のあらゆる方法によって公衆に利用可能になったすべてのものは技術水準を構成する。

(3) (以下、省略)

(日本特許庁ホームページ「諸外国・地域・機関の制度概要および法令条約等」より)

[iii] EPC第87条は優先権の規定であり、(1)は最初の出願と同一の「発明」について優先権を享受できることを規定しています。条文は以下の通りです。

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(1) 次の何れかの国において又は何れかの国について,正規に特許出願,実用新案出願又は実用新案証の出願をした者又はその承継人は,同一の発明について欧州特許出願をすることについては,最初の出願の日から12月の期間中優先権を有する。

(a) 工業所有権の保護に関するパリ条約の締約国,又は

(b) 世界貿易機関の加盟国

(2) (以下、省略)

(日本特許庁ホームページ「諸外国・地域・機関の制度概要および法令条約等」より)

 

[iv] EPO拡大審判部の審決G 2/98は、EPC 87条(1)の「同一の発明」の要件について、「先の出願に基づく優先権は、当業者がクレームの主題を先の出願の全体から直接かつ一義的に一般知識を用いて導き出すことが可能である場合にのみ認められる。」と判示し、有効な優先権主張が認められるための「同一発明」の解釈について厳格な基準を示した実務上極めて重要な審決です。

https://www.epo.org/boards-of-appeal/decisions/pdf/g980002ex1.pdf

 

[v] 「投与レジメン(dosage regimen)」とは、主にがんの薬物療法、化学療法などにおいて、安全性と治療効果を最大化するために、使用する薬剤の種類、投与量、投与方法、投与スケジュールなどを時系列で厳密かつ詳細に定めた治療計画のことを指します。

 

[vi] EPO審判部の審決T 2506/12は、医薬品の用途特許(第二医薬用途)において、「用量の忍容性(Tolerability)」がクレームの「機能的な技術的特徴(Functional technical feature)」として扱われることを示した極めて重要な審決です。

https://www.epo.org/boards-of-appeal/decisions/pdf/t230883eu1.pdf

 

[担当]深見特許事務所  堀井 豊

 

[情報元]

     1. Venner Shipley Inside IP: Summer edition 2026

“EPO clarifies sufficiency at the priority date in T 0883/23”

https://www.vennershipley.com/insights-events/epo-clarifies-sufficiency-at-the-priority-date-in-t-0883-23/

     2. T 0883/23事件のEPO審判部審決の原文

https://www.epo.org/boards-of-appeal/decisions/pdf/t230883eu1.pdf