医薬バイオ分野の治療方法クレームの実施可能要件に関するCAFC判決紹介
米国連邦巡回控訴裁判所(CAFC)は2026年7月9日、非小細胞肺がん(NSCLC)の治療方法に関する米国特許について、米国特許法35 U.S.C. §112(a)の実施可能(enablement)要件を満たさないとして特許の一部を無効としたデラウェア州地区連邦地方裁判所(以下「地裁」)のJMOL[i]を支持しました。地裁は、特許の明細書に開示された、in vitro[ii]データ、および、部分的にヒトの最大耐量(maximum tolerated dose)[iii]を超える広範な用量範囲が、患者に毎日投与するのに適した投与量を決定するための十分な指針を提供していないと結論づけて、本件特許を無効とするJMOLを下していました。
Wyeth LLC v. AstraZeneca Pharmaceuticals LP, Case No. 24-2325 (Fed. Cir. July 9, 2026)
1.事件の背景
(1)本件特許の概要
本件対象の米国特許No.10,603,314(以下「’314特許」)およびNo.10,596,162(以下、両特許を「本件特許」と総称)は、「ゲフィチニブ及び/又はエルロチニブに耐性を有するNSCLCを、EGFR又はerb-B2の特定のシステイン残基に共有結合する不可逆的EGFR阻害剤によって治療する方法」に関するものです。
本件特許を代表する’314特許の代表的なクレーム1[iv]は、当該NSCLC患者に対し、不可逆的EGFR阻害剤を含む医薬組成物の単位投与量(unit dosage)を毎日投与する方法を規定していました。本件特許に共通の明細書(以下、「本件明細書」)はこの「単位投与量」を、「所望の治療効果を生じさせるよう計算された一定量の有効成分を含む単位」と説明していました。
本件明細書では、不可逆的EGFR阻害剤としてEKB-569、HKI-357及びHKI-272の3種類が例示され、これらについてin vitro実験が行われ、EGFR変異を有するNSCLC細胞の殺傷効果が示されていました。
また、投与量について、一般的な1日投与量として0.5~1,000 mg/kg、総1日投与量として「1~1,000 mg」、好ましくは「2~500 mg」と記載されていました。
(2)特許侵害訴訟の提起
Wyeth LLC(以下「Wyeth社」)は本件特許の所有者であり、AstraZeneca Pharmaceuticals LP(以下「AstraZeneca社」)が不可逆的EGFR阻害剤Tagrisso(osimertinib)の販売等により本件特許の侵害を誘発したと主張して、地裁に特許侵害訴訟を提起しました。
(3)陪審および地裁の判断
陪審は、本件で主張されたクレーム(asserted claims)は無効ではないと判断するとともに、AstraZeneca社による誘発侵害を認定し、Wyeth社に1億750万ドルの損害賠償を認めました。
それに対してAstraZeneca社は、特許が実施可能要件を満たしていないため無効であるとして、JMOLを申し立てました。地裁は、特許クレームについて、合理的な陪審が実施可能要件を満たすと判断することはできないとして、AstraZeneca社のJMOL申立てを認め、実施可能要件違反を理由としてクレームを無効とするJMOLを下しました。
この地裁判決に対してWyeth社がCAFCに控訴したのが本件です。
2.CAFCの判断
(1)主な争点
CAFCの審理における主な争点は、本件明細書が、クレームされた治療方法、すなわち患者に毎日「単位投与量」を投与する方法を、当業者が過度の実験なしに実施できる程度に開示していたかという点です。
Wyeth社は、地裁が「単位投与量」に安全性や臨床的有効性という要件を実質的に付加したと主張しました。
しかしCAFCは、クレームが単にEGFRを阻害してがん細胞を殺傷する方法を対象としているのではなく、「患者」に対して「単位投与量」を毎日投与して治療する方法を明示的に規定していることを重視しました。したがって、in vitroでEGFR阻害作用が確認されれば足りるというWyeth社の主張を退けました。
(2)実施可能要件についてCAFCが適用した原則
CAFCは、米国特許法第112条(a)[v]の実施可能要件について、明細書が当業者にクレームされた発明を実施できるようにしなければならず、一定の実験は許容されるものの、「過度の実験(undue experimentation)」を要するものであってはならないという原則を適用しました。
特にCAFCは、米国最高裁判所のAmgen Inc. v. Sanofi, 598 U.S. 594 (2023)を踏まえ、クレームされた発明の「全範囲(full scope)」を実施可能にする必要があり、「the more one claims, the more one must enable(クレームする範囲が広いほど、それに対応して広い範囲を実施可能にしなければならない)」という考え方を確認しました。
本件では、明細書が示した情報を基礎として、当業者が患者に投与可能な治療用量を追加的な試験によって探索しなければならないことが問題となりました。
(3)in vitroデータでは不十分であった理由
本件明細書には、3種類の化合物についてin vitroでNSCLC細胞を殺傷するデータが存在していました。しかし、CAFCは、それだけでは患者に投与する「単位投与量」を決定するための十分な教示とはいえないとしました。in vitroで有効な濃度が確認されたとしても、その濃度を患者に実際に投与できる量へどのように変換するのかについて明細書に十分な指針がなかったためです。
つまり、本件クレームが対象とするのは「試験管内でがん細胞を殺傷する方法」ではなく、「患者に毎日単位投与量を投与して治療する方法」でした。この違いが実施可能性の判断を左右しました。
(4)「1~1,000 mg」という広い投与量範囲の問題点
本件明細書には「1~1,000 mg」、好ましくは「2~500 mg」という広い投与量範囲が記載されていました。しかし、CAFCは、単に広い数値範囲を記載するだけでは十分でないと判断しました。本件明細書では、患者の体重の1kgあたりの投与量0.5~1,000 mgが『一般に(in general)』良好な結果が得られる投与量として記載されている一方で、上記の1~1,000 mg(好ましくは2~500 mg)については『予測される(projected)』総1日投与量として記載されているにとどまり、個々の化合物について、当該範囲のどの投与量を選択すれば患者に治療効果をもたらすのかを決定するための具体的な方法が示されていなかったためです。
さらに、後述するように、開示された投与量の一部は、ヒトにおける最大耐容量を超えることが証拠上示されました。そのため、当業者は、広い範囲から実際に使用可能な投与量を見つけるための追加的な実験を行う必要がありました。
(5)毒性データの重要性
本件では、毒性(toxicity)[vi]に関する証拠が重要な意味を持ちました。もっとも、CAFCは、「クレームされたすべての投与量が非毒性でなければならない」という独立した安全性要件をクレームに追加したわけではありません。
毒性データが重要だったのは、クレームが「患者に毎日単位投与量を投与する」方法を対象としていることから、明細書に記載された投与量のうち、どの投与量が患者に実際に投与可能で、かつ治療効果を得られるのかを当業者が判断できるかを評価する必要があったためです。
裁判記録では、開示された3つの化合物のうち2つについては、明細書の投与量範囲がヒトの最大耐量を超えており、3つ目についてもその可能性があることを示す証拠が提出されました。
さらに重要なのは、Wyeth社側の専門家及び発明者自身の証言も、この問題を裏付ける方向に働いたことです。
Wyeth社側の専門家は、患者に投与する単位投与量を計算する際には、治療効果を得る一方で毒性のある投与量を避ける必要があることを認めました。また、共同発明者のHaber博士は、試験管内で必要とされる濃度は患者に投与できる濃度より高く、本件特許に示された薬物濃度は患者に投与可能な濃度の5倍高いことを認めました。
このため、CAFCは、明細書に記載された好ましい実施形態でさえ、開示された投与量範囲全体について患者に毎日投与することができないことが示されていると評価しました。
その結果、当業者は、治療効果を得ながら最大許容容量を超えない投与量を決定するために、追加的な試験及びスクリーニングを行わなければならないことになります。この点が、実施可能要件違反を強く裏付ける事情となりました。
(6)「当業者なら適切な投与量を決定可能」という主張も認められなかった理由
Wyeth社は、当業者であれば適切な投与量を決定できると主張しました。しかしCAFCが問題としたのは、当業者が一般的にEGFR阻害剤について知識を有していたかではなく、本件明細書の教示と当時の技術常識に基づいて、クレームされた治療方法を過度の実験なしに実施できるかという点でした。
本件では、患者、化合物、投与方法、疾患の重症度等によって必要な投与量が異なることが明細書自身に記載されていました。それにもかかわらず、これらを踏まえて適切な単位投与量を決定するための十分な方法が示されていませんでした。
そのため、当業者に残された作業は、単なる通常の実験ではなく、試行錯誤によって適切な投与量を探索する作業であると評価されました。
特にCAFCは、明細書が「当業者は各患者について有効用量を知っている」と記載しているだけでは、実施可能要件を満たすために明細書に求められる情報の不足を、当業者の知識によって補うことはできないとしました。
(7)「臨床データは必須ではない」という点の重要性
本判決を、「臨床データがなければ医薬品の治療方法クレームは実施可能要件を満たさない」と理解するのは適切ではありません。CAFCは、FDAによる承認や規制上の安全性・有効性基準を要求したものではないことを明確にしています。
問題となったのは、クレームが患者への毎日の投与を明示的に要求していたため、その患者への投与方法を実施できる程度の教示が必要だったということです。
したがって、臨床データが存在しないこと自体が問題なのではなく、in vitroデータ等から、患者に実施可能な投与方法をどのように導くのかについて十分な指針がなかったことが問題でした。
3.Amgen v. Sanofi事件最高裁判決との関係
本件判決は、2023年のAmgen v. Sanofi事件最高裁判決[vii]との関係でも重要です。Amgen v. Sanofi事件では、広い抗体クレームについて、明細書がクレームの全範囲を実施可能にする十分な教示を提供していないとして、実施可能要件違反が認められました。
同判決が示した「the more one claims, the more one must enable」という原則は、本件でも適用されています。
本件では、広い不可逆的EGFR阻害剤の範囲に加えて、それらを患者に毎日投与する方法がクレームされていました。しかし、明細書で具体的に示された化合物は3種類であり、それらについてもin vitroデータが中心でした。
さらに、1~1,000 mgという広い投与量範囲について、患者に投与可能な具体的な投与量を決定するための十分な指針がありませんでした。
したがって、本件は、Amgen v. Sanofiの原則が、抗体の属クレームだけでなく、広い化合物範囲と投与量範囲を含む医薬品の治療方法クレームにも及ぶことを示す事例と位置付けることができます。
4.本件判決による実務上の示唆
本判決から得られる第一の示唆は、医薬品の治療方法クレームについて、in vitroでの薬理作用を示すだけでは、クレームの内容によっては実施可能要件を満たさない可能性があるということです。
特に、「患者に投与する」「毎日投与する」「治療効果を生じさせる」などの限定を含む場合には、in vitroデータから実際の患者への投与量をどのように決定するのかについて、明細書中に具体的な指針を示すことが重要です。
第二に、広い投与量範囲を記載する場合には、その数値範囲を示すだけでなく、その範囲の根拠、個々の化合物について適切な投与量を選択する方法、治療効果を得るための条件等をできるだけ明らかにすることが重要です。
第三に、広いクレームを取得する場合には、クレームの範囲と明細書における実施例・データとの対応関係を意識する必要があります。Amgen v. Sanofiの原則に照らせば、クレームの範囲が広いほど、それに見合った実施可能な開示が求められます。
第四に、毒性データについては、FDA承認レベルの安全性データが必要という意味ではありません。しかし、開示された投与量の中に患者に投与できない量が含まれていることは、当業者が実施可能な投与量を明細書から導けるかを判断する上で重要な事情となります。
以上から、本件判決は、「臨床データがないこと」自体を問題とした判決ではなく、患者への投与方法をクレームする以上、明細書には、当業者がin vitro等のデータから実際に使用可能なヒトへの投与方法を、過度の実験なしに導ける程度の教示が必要であることを示した判決と理解するのが適切です。
また本件判決は、広いクレームを作成する場合には、単に化合物の薬理活性を示すだけでなく、クレームされた治療方法の実施に必要となる具体的なパラメータについて、明細書自体がどこまで指針を提供しているかを検討する必要があることを示唆しています。
[i] JMOL(judgment as a matter of law)は、当事者が提出した事実関係の証拠が、事実問題を審理する陪審裁判の評決を支持する合理的な裏付けがないと判断される場合に、法律の適用に関する法律問題の審理に基づいて出される判決です。特許クレームの解釈は一般に法律問題であると言われています。
[ii] in vitroとは、試験管や培養器などの人工的な環境で細胞や組織を使った実験を行う「体外(試験管内)で」という意味の医学・生物学用語です。
[iii] 「最大耐量(maximum tolerated dose:MTD)」とは、特に医薬品・薬理学の文脈において、許容できない毒性を生じさせることなく患者に投与できる最大の投与量をいいます。
[iv] ’314特許のクレーム1の原文および仮訳は以下の通りです。
- A method for treating gefitinib and/or erlotinib resistant non-small cell lung cancer in a patient in need thereof, comprising
administering daily to the patient having gefitinib and/or erlotinib resistant non-small cell lung cancer a pharmaceutical composition comprising a unit dosage of an irreversible epidermal growth factor receptor (EGFR) inhibitor that covalently binds to cysteine 773 residue in the ligand-binding pocket of EGFR or cysteine 805 residue in the ligand-binding pocket of erb-B2.
1.(仮訳)ゲフィチニブ及び/又はエルロチニブ耐性非小細胞肺がんを、治療を必要とする患者において治療する方法であって、
ゲフィチニブ及び/又はエルロチニブ耐性非小細胞肺がんを有する患者に、EGFRのリガンド結合ポケット内のシステイン773残基又はerb-B2のリガンド結合ポケット内のシステイン805残基に共有結合する不可逆的上皮成長因子受容体(EGFR)阻害剤の単位投与量(unit dosage)を含む医薬組成物を毎日投与することを含む、方法。
[v] 米国特許法第112条(a)は、以下のように規定しています。
「明細書は,その発明の属する技術分野又はその発明と極めて近い関係にある技術分野において知識を有する者がその発明を製造し,使用することができるような完全,明瞭,簡潔かつ正確な用語によって,発明並びにその発明を製造,使用する手法及び方法の説明を含まなければならず,また,発明者又は共同発明者が考える発明実施のベストモードを記載していなければならない。」(日本特許庁HPの訳文より)
[vi] 「毒性(toxicity)」とは、医薬品等の物質が生体に対して有害な作用を及ぼす性質又はその程度をいいます。本件では、特に、治療効果を得るために必要な投与量が患者に許容される範囲を超えるかどうか、すなわち、当該投与量を患者に実際に投与できるかという観点から問題となりました。
[vii] Amgen Inc. v. Sanofi事件最高裁判決については、弊所HPにおいて2023年7月5日付で配信した米国関連記事「実施可能要件に関する米国連邦最高裁判決紹介」(https://www.fukamipat.gr.jp/region_ip/9728/)および
同最高裁判決原文(https://www.supremecourt.gov/opinions/22pdf/21-757_k5g1.pdf)をご参照下さい。
[担当]深見特許事務所 野田 久登
[情報元]
1.IP UPDATE (McDermott) “In vitro data, broad dosage ranges fail to enable patient-treatment claims” July 23, 2026
2.Wyeth LLC v. AstraZeneca Pharmaceuticals LP, Case No. 24-2325 (Fed. Cir. July 9, 2026)事件CAFC判決原文
https://www.cafc.uscourts.gov/opinions-orders/24-2325.OPINION.7-9-2026_2720804.pdf

